楕円曲線のお勉強によい本

 最近、楕円曲線の理論を解説している数学書をいろいろ読んでいるのだけど、出色の本があったので紹介しようと思う。それは、シルバーマン&テイト『楕円曲線論入門』足立恒雄・他訳(丸善出版)だ。とは言っても、きちんと読んだのは、まだ第1章だけで、あとはざっと眺めただけなのだが、それでもはっきり、「すばらしい本」だと評価できる。

楕円曲線論入門

楕円曲線論入門

 楕円曲線というのは、高校で教わる「楕円」とは異なることに注意しよう。楕円曲線は、(yの2乗)=(xの3次多項式)という方程式で定義される曲線であり、楕円(a(xの2乗)+b(yの2乗)=定数で定義される)とは全く異なる。楕円曲線がどんな形状であるかは、上でリンクを張っている本の表紙に描かれている図形をみればわかる。じゃあ、どうして「楕円曲線」などという名が付けられているのか、と言えば、楕円の周長を積分によって計算しようとすると、被積分関数にこの方程式と同じ関数が表れるからなのだそうだ。
 楕円曲線の方程式:(yの2乗)=(xの3次多項式)は、かなり古くから研究されている。例えば、ギリシャ時代に活躍した数学者ディオファントスは、(yの2乗)=(xの3乗)−2という方程式の整数解について研究した。この方程式は、ちょっと見でわかるように、x=3, y=5という整数解を持っている。17世紀のフェルマーは、当時の数学者たちに挑戦して、「この方程式には、x=3, y=±5以外に整数解がないことを証明せよ」という問題を出題したそうである。フェルマーはこれに解答を示さず、不完全ながら証明を得たのは18世紀のオイラーであり、完全解決したのは20世紀になってからとのことである。
 一方、フェルマーよりちょっと早い時期の17世紀の数学者バシェは、この方程式には有理数解(x, y)なら無限組が存在することを突き止めている。例えば、(129/100, 383/1000)がその一つである。バシェが知っていた有理解を求める手法は、実は、現在の楕円曲線論の萌芽となるものだった(最後に解説する)。(ちなみに、バシェという数学者の別の業績「バシェの定理」については、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書で紹介してある)。
 フェルマーは、有名な「フェルマーの最終定理」と、この楕円曲線との関係に気付いていた痕跡が認められる。実際、(有理数を保存するような)変数変換によって、フェルマー方程式:(xの3乗)+(yの3乗)=(zの3乗)は楕円曲線:(yの2乗)=(xの3乗)−432に変形でき、また、フェルマー方程式:(xの4乗)+(yの4乗)=(zの4乗)は楕円曲線:(yの2乗)=(xの3乗)−xに変形できる。だから、フェルマーの最終定理の指数3と指数4の場合は、ある意味で、楕円曲線の有理点の問題に帰着できるのである。
 楕円曲線の研究は、18世紀のオイラーを経て、19世紀から20世紀にかけて花開くこととなった。とりわけ、楕円曲線ゼータ関数が関係づけられてからの発展は目を見張るものがある。中でも、20世紀のドイツの数学者フライが、フェルマー方程式:(xのn乗)+(yのn乗)=(zのn乗)の自然数解となる(a, b, c)が存在すると仮定したときの楕円曲線:(yの2乗)=x(x−(aのn乗))(x+(bのn乗))というのを考えた。これは現在では「フライ曲線」と名付けられている。この楕円曲線から作られるゼータ関数の振る舞いを研究したことで、このようなフライ曲線は、実際には存在しないことが証明された。それは同時に、フェルマーの最終定理が肯定的に解決されたことを意味し、これは世の中に大きな衝撃を与え、現代数論がその威力を誇った事例となった。
 この楕円曲線の理論への入門書となっているのが、上記のシルバーマン&テイト『楕円曲線論入門』である。これは、数学者テイト氏がハーバード大学で行った講義と、シルバーマン氏がMITで行った講義に基づいている。冒頭に書いた通り、本書は、数学書の書き方の手本のような本となっている。それはどういうことかというと、「ある程度はしょりながら、しかしほぼ完全な証明を与えつつ、その数学アイテムの本質を伝える」というアクロバットのような書き方をしている、ということなのだ。しかも、定義→補題→定理→というよくある無機質な書き方ではなく、言葉を尽くして、語りかけるように展開しているのである。
 もう少し詳しく説明しよう。「ある程度はしょる」とは、注目している数学アイテムの本質とは少し遠い、いわゆる「特殊ケース」については、指摘はしつつもスルーする、ということである。数学の完全な証明では、例外は許されない。可能であるようなすべてのケースについて漏れなく証明しなければならない。例えば、分母がゼロになる場合とか、次元が落ちて退化する場合とか、解が重複して重解になる場合とか、そういう特殊ケースも見逃してはならない。しかし、特殊ケースは多くの場合、その定理の本源的な含意とは縁遠い。一方、数学書を読むとき、たいていの読者が知りたいのは「要するにその数学アイテムは何なの?」ということである。こういう読者は、特殊ケースについての証明を読むのは苦痛であることが多い。ここが、専門に勉強する人と、趣味で勉強する人との大きな違いと言えよう。本書は、そういう特殊ケースを(存在を指摘はするが)上手に選り分けてスルーしているのである。
 とは言っても、本書がはしょっとているのはそういう特殊ケースだけであって、「本質的にはきちんとした証明」を与えている。つまり、お話だけでお茶を濁したりはしていないのである。逆に証明の本質的部分だけを扱う証明の道筋をたどっているので、証明がわかりやすく、また、「何が鍵なのか」が浮き彫りになる。それはそれは見事な名人芸である。
 第1章では、まず、ピタゴラス、すなわち、(aの2乗)+(bの2乗)=(cの2乗)を満たす整数の組(a, b, c))をすべて求める方法を説明する。それは、原点が中心で半径が1の単位円:(xの2乗)+(yの2乗)=1上の有理点をすべて求めることに帰着される。そして、点(−1, 0)と有理数tについての点(0, t)とを結んだ直線と、この単位円との交点を求めれば、それらの有理点がすべて求まってしまうことを証明している。ここまでは多くの本に書いてあるけど、この手法で、有理係数の2次曲線上の有理点を求める問題がすべて解決されてしまうことが書いてある本には初めて出会った。言われてみればあたり前なんだけど、このことをきちんと記述することで、次に解説する楕円曲線上の有理点を求める手法の解説が非常にわかりやすくなるのである。小さな工夫が大きな効果を生む良い例だと言える。
 さて、第1章のメインディッシュは、「楕円曲線上の点たちに足し算を導入する」というアイデアの説明だ。ここでいう「楕円曲線上の点」は、別に有理点に限定せず、一般の点である。ちなみに、ここで導入された足し算が、無限個の有理点を導く源泉となる。足し算は、次のように導入される。
ステップ1 与えられた楕円曲線上の2点P, Qを選び、直線PQを引く(P=Qの場合は、Pでの接線とする)。
ステップ2 楕円曲線と直線PQとの第3の交点をとり、それをP*Qを記す。
ステップ3 P*Qのx軸に関する対称点をとり、それをP+Qと記す。(楕円曲線はx軸に関して対称だから、P+Qはちゃんと楕円曲線上の点となる)。
大事なのは、これがちゃんと「足し算」となっている、ということである。無限遠点をOと記して、それを楕円曲線上の点だと定義しておく。すると、今導入された演算「+」は、次の性質を持つことが示される。
(1) P+Q=Q+P
(2) P+(Q+R)=(P+Q)+R
(3) O+P=P+O=P
(4) 任意の点Pに対し、P+Q=OとなるQが存在する。
専門的にいうと、楕円曲線上の点たちが演算「+」に関して加法群を成す、ということである。
 (1)(3)(4)は非常に簡単である。例えば、Pのx軸に関する対称点をQとすれば、直線PQはy軸と平行になるので、PQと楕円曲線との第3の交点P*Qは無限遠点Oとなり、このx軸に関する対称点はO自身だから、P+Q=Oとなって、(4)がわかる。だから、ただ一つ証明が困難なのは(2)である。ステップ1,2,3を振り返ると、にわかにはこの性質が成り立つと信じがたい。(2)の証明は、何冊かの本で読んだことがあったが、漠然とはわかるものの、「わかったああ」という感覚になったことは皆無だった。しかし、本書で、はじめてこの「わかったああ」というカタルシスがやって来たのである。カタルシスが得られたのは、本書の証明にいくつかの工夫があったからだ。
 第一の工夫は、無限遠点O(y軸に平行な直線と楕円曲線との、無限に遠くにある交点、と設定され、目には見えない)という特殊ケースで証明せずに、楕円曲線の任意の1点Oを固定し、それを基点にしていること。こうすることで、さきほど述べた「一般の有理2次曲線の有理点」のときの議論が活かされる。これを読んだあとだから、何をしているのかがはっきりとわかる。一般論が、特殊例に優る、ということはよくあることだ。
 第二の工夫は、キイとなる代数幾何の定理「C, C1, C2を3つの3次曲線とする。CがC1とC2の9つの交点のうち8つを通るとする。すると、実は、Cは第9の交点も通る」を、非常に明快に証明していること。この定理の証明は、他の2冊の本で読んだことがあるが、そのときは、ぼんやりした理解のまま、本質が掴めずにいた。一方、本書の証明では、霧が晴れるような爽快感を得られた。その理由は、本書の証明では、特殊ケースは潔く捨て、直感的にあたりまえに思える原理「3次曲線は10個の係数で記述され、したがって、9個の点で決定される」ということを使って議論しているからだ。これは高校数学では、2次曲線でよく行われる作業である。そして、仕上げに、受験数学でよく使われる束(pencil)という手法を持ち込むだけで証明が終わるのである。だから、受験数学に熟達しているぼくは(笑い)、「なんだ、単にそ〜ゆ〜ことかああ」と理解できてしまったのである。ここで、「m次曲線とn次曲線の交点は(重複も数えれば)mn個である」といういわゆる「ベズーの定理」は、直感的にあたりまえと思える定理として、暗黙の前提とされている。
 第三の工夫は、「(P+Q)*R=P*(Q+R)」という性質(これは示したいP+(Q+R)=(P+Q)+Rと同値)が、たった1枚の図で簡明に描き出されている(26ページの図)ということ。さりげないようだが、これは点Oを、無限遠点(目に見えない点)でなく楕円曲線上の任意の点にとったことが効いていると思う。この絵を眺めていると、「ほほう、なるほどねえ」とばかり、頭の中にストンと収まってしまう。
 以上、3つの工夫によって、ぼくは初めてこの(2)を、体感レベルで理解できたのである。こういう書き方は、単に「理論をよく理解している」だけでは実現できないと思う。定理自体を、非常に深く理解していて、さらには、どう組み立てれば、聴衆に最もストレートに伝わる証明になるかを真剣に考え抜く情熱を持っていないとできないに違いない。
 さて、バシェがやったような「有理係数の楕円曲線上の有理点を無限に見つける」のには、この楕円曲線上の足し算がみごとに機能する。まず、有理点を1個ないし、2個みつけておく(これは、別作業)。仮にPとQの2個が見つかった場合、P*Qをつくる。P*Qは、直線PQと楕円曲線(yの2乗)=(xの3次多項式)の交点であるが、2つの方程式を使って、yを消去すれば、xについての有理係数の3次方程式となり、しかも、2つの解は有理数とわかっているから、(解と係数の関係から)3番目の解も有理数とわかる。つまり、P*Qは有理点となる。すると、P+QはP*Qのx軸に関する対称点だから、これも有理点である。つまり、2つの有理点PとQから、新しい有理点P+Qが求められる。すると、この新しい有理点P+QとPとを使って、P+(P+Q)を作れば、それも有理点となる。この場合、P+(P+Q)がこれまでのPやQと一致しないなら、新しい有理点となる。実は、有限個の有理点を基点とすることで、このような足し算の方法で、すべての有理点が(無限個ある場合でも)求められることが証明されている。それがモーデルの定理「非特異な平面3次曲線に有理点があるならば、有理点のなす群は有限生成である」というもので、その証明は本書の第3章にある。まだ読んでいないが、ざっと眺めた限り、非常にクリアカットに書かれている感じがする。
 うわあ、またまた、超長いエントリーとなってしまった。もちろん、ぼくは決して暇なわけではない。あの人やあの人との仕事が目の前にたまっている。このエントリーは、食後の休憩30分くらいで書いたので(笑)、それらの大事な仕事には影響がないので、案じないで欲しい。間違っても逃避行動なんかではないっす。