マクロ経済学の新時代への教科書

 このところ、ずっと数学方面の話題ばかりエントリーしていたので、今回は久しぶりに経済学の書籍を紹介しようと思う。
紹介する本は、マクロ経済学の初級の教科書で、柴田章久・宇南山卓『マクロ経済学の第一歩』有斐閣だ。

マクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

マクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

著者たちとは、二人とも面識があるので、公平中立的な立場からの書評にはならないことを予め、お断りしておく。宇南山さんとは、大学院にほぼ同じ時期に在籍していて、同じセミナーで勉強した経験がある。また、柴田さんは、ぼくの論文の共著者である岡山大学の浅野さんを共著者としてたくさん論文をパブリッシュされており、その縁で、一年に一度ほど京都大学にお邪魔して、マクロ経済学について教えていただいている関係である。
ぼくは、(数学とは反対に)経済学のついては、啓蒙書はほとんど読まない。啓蒙書を読む時間があったら論文を読む時間に充てるべきだと思っているからだ。ただ、教科書は別。大学では、ミクロ経済学マクロ経済学ゲーム理論を教えているので、講義の組み立てを考えるのと、講義でのネタ探しのために、いろいろな教科書に目を通す。
残念ながら、ミクロでもマクロでも、良い教科書、「使える」教科書に当たることが滅多にない。だいたい通り一遍の書き方をしており、説明や計算を丁寧に解説する工夫はあっても、題材や組み立てから抜本的に考えている教科書は皆無に等しい。みんな、先人の書いた、古くさい組み立てを踏襲している。
そんななか、この柴田章久・宇南山卓『マクロ経済学の第一歩』有斐閣は、入門的ながらなかなか革新的、と思えたマクロ経済学の教科書だった。
章立ては、「マクロ経済学とは何か」→「GDPとは何か」→「経済成長と技術の役割」→「消費の決定」→「投資の決定」→「労働市場と失業」→「所得分配と格差」→「再分配政策」→「政府支出の役割」→「少子高齢化と財政」→「開放経済」、のようになっている。人によっては、平凡な並べ方に見えるかも知れないが、ぼくはそう思わない。少なくとも、最も有名なマンキューの教科書や、その他、よく採用されていそうな教科書などとはぜんぜん違う組み立て方をしていると思う。中身に書いてあることは、さらに格調が違うように感じる。
この本のぼくの印象を端的にまとめると、こうだ。

1. ケインズ理論(IS・LM分析)から、巧妙な距離を取っている。
2. 解説の足場として、現代の日本が直面している経済問題が意識されている。
3. 最新のマクロ理論や、きちんとした実証データを基礎としている。
4. 読んでいて、わくわくする。

こんなことはどの教科書でも同じじゃないか、と言うかもしれないが、四つとも揃っている教科書は滅多にない。
まず、第一の点がぼくにとって非常に貴重だ。ケインズ理論は、きちんとわかった人が、現実のマクロ経済現象を理解する上で、ベンチマークとして使うには便利なものである。でも、初学者が「基礎原理」として学ぶべきものではないと思う。実際、マクロの講義の最初の数年間は、ケインズ理論を教えたのだけれど、いろいろな点で「自分が嘘を言っている、整合性のとれないことをあたかも原理のように述べている」という罪悪感を持った。それで今では、この理論を講義することをきっぱり止めてしまった。この理論について同じ印象を持っている経済学の講師もおられるのではないか、と思う。
第二の点は、初学者にとって大切である。マクロ経済学は、ミクロ経済学のように「経済現象の数学化」を目的とするものではなく、あくまで生の、現実の、経済現象を解明することを目的とする分野である。だから、フォーカスは、あくまで現実の、生の、経済問題に設定しなければならない。「今を理解する」ことをテーマにすべきである。とりわけ、将来に学者になるのではなく、ビジネスパーソンに旅立つ学生たちがマクロ経済学を学ぶことの意義は、ここにあると言って良い。それでぼくは、マクロ経済学の講義では、本書のような視点でトピックスを選んでいる。
そうは言っても、ただの時事談義に陥ってしまっては、「経済学」を名乗る資格はない。経済学と題するには、「原理的」でなければならないし、「整合的体系性」や「数理性」を備えていなければならない。現代のマクロ経済学は、ケインズ理論の不備を解明し、修正し、新しい理論的枠組みを獲得しつつある。だから、そういう最新の研究成果が、初学者の教育にも活かされるべきだ。それが、お金を払って講義を受ける学生さんたちへの最低限の誠意だと思う。そういう点でも、本書はある程度の達成度を成し遂げている。
第四の点は、どんな教科書にもセールスポイントになることは言うまでも無いないだろう。
 本書では、ところどころに、「おっ」と思うことがさりげなく書いてある。例えば、第1章に次のような一節がある。

経済学を学んでいくとすぐわかることですが、ある経済問題を分析する際に、必ずしも誰もが合意しているモデルが一つだけあるというわけではありません。同じ経済問題に対して、まったく異なったモデルが併存しており、それぞれが論理的な一貫性を持っているという場合もあるのです。この原因は、モデルを構築する際の、現実経済のなかで何が本質的に重要であり、何を切り捨ててよいかという判断において、経済学者の間に違いがあるためです。このような場合には、それぞれのモデルから得られる結論も異なりますので、現実のデータとモデルから得られる結論を照らし合わせることによって、より現実的説得力の高いモデルが選択されていくことになります。

こういう文章を教科書に書くことは、できるようでできないと思う。教条的に何かひとつだけの「原理」を信じている人、自分で経済モデルの論文を書いて投稿した経験のない人は、こういうことに気がつかないし、大事だとも感じないだろう。著者たちが業績の優れた経済学者だから、こういうことをさらっと書けるのである。
 第3章は、ソロータイプの経済成長理論の解説になっている。ソローモデルは微分方程式で記述されたもので、現代のマクロ理論の基礎を築いている理論の一つ。ぼくの講義では、微分方程式なしにこれを教えているが、本章でも、微分方程式なしに、簡潔に解説してあって、最もぼくのやりたいことに近い。マクロ経済学の初学者が、到達点として触れるべきモデルはこれだと確信しているし、本書での解説の仕方は的を射ていると思う。マクロ経済学とは、動学であり、だから、どんなに簡単なものであれ、動学モデルを一つ見ておくことこそが「入門」なのだと思う。(ちなみに、個人的見解だが、ケインズ理論は動学じゃないと思う)。
 本書では、ところどころに、実証的な研究成果も取り入れられていて、講義のネタとして使える。挙げるときりが無いので、一つだけ挙げよう。

ダロン・アセモグル教授らによるかつて植民地であった国々を対象とした研究では、独立後の経済パフォーマンスが大きく異なっている理由は、植民地時代の支配体制の違いにあるという興味ある結論が得られています。その議論の骨子は以下のようなものです。ヨーロッパ人が移住できる環境の植民地では、ヨーロッパ人は自分たちにとって有益な政治体制や法制度を構築し、私的所有権を保護しました。これらの植民地は、現在のアメリカ、カナダ、オーストラリアなどです。それに対し、ヨーロッパ人の居住できない植民地では、数少ない管理者によって統治できる体制を構築し、植民地を搾取してしまいました。現在の、アフリカや中央アメリカの国々がその典型例です。これらの植民地では、当然、私的所有権も確立されているといえない状況でした。(以下略)

これは、政治や法制度が、技術水準に影響もたらすことを示唆するデータとして用いられている。これをもって著者たちは、「内生的成長理論」と呼ばれる分野での技術進歩の役割を説明している。他にも、消費の章の冒頭に紹介されている、「宝くじの当せん金の使い道」のデータなども面白いネタである。これは、「ライフサイクル・恒常所得仮説」という消費行動の理解に重要な仮説の検証に使われている。
 「やらせ感」を払拭するために、気に入らない点をふたつほど挙げておこう。一つは、たくさんの経済セクションを章別に解説していながら、それらを組み合わせて、マクロモデルを作っていないところ。これでは、マクロ経済現象というのが、複数のセクションの兼ね合いによって引き起こされていることを理解することができない。でもまあ、200ページ程度の薄い教科書にそれを望むのは無茶であろう。
第二は、「政府支出の役割」のところで、IS・LM理論の「45度線分析」、いわゆる乗数理論を解説しているところ。乗数理論は、どう考えても理論的におかしい、(少なくとも1を超える乗数は)実証的にも理論的にも否定されていると思う。思い切って、これを棄却すべきだったのではないか。まあ、公務員試験とか経済学検定などに相変わらず出題されていることへの対応なのだとすれば、仕方ない妥協だと思える。それは、著者たちが、この章の終わりにリカードの中立命題を解説した上で、45度線モデルから予測されるものはそれほど大きくない、と評価していることから推察できる。
ぼくが、ケインズ理論を講義することを放棄したのは、この理論が予算制約を満たさないことにある。それで、解説していて気持ち悪くて仕方なくなったのだ。静学モデルなら静学の、動学モデルなら動学の、予算制約を無視することは、数学でゼロでの割り算を許すのに匹敵する。それを許せば、どんな不可思議な魔法もパラドクスも可能になる。
 そういう気に入らない点はあるのだけど、そんなことが取るに足らないほど、良く書けていて、コンテンポラリーで、わくわく読める教科書であることは間違いない。大学で経済学を講義している人、マクロ経済学の講義を受けていて、「くっそ詰まんない」と感じている学生さんは、一度本書を手にとってみてほしい。