ブドーカンがいかに特別か

 今日は、年末に書いた日記YUIとネットで傷ついている人たちに贈るスレッサーの小説 - hiroyukikojimaの日記に関連したネタを書こうと思う。
このところ、ライブや芝居に行く気力がとんとうせてしまって、ライブは去年はほんの数回しか行っておらず、芝居などは、先週行った野田マップのその前が、一昨年の年末に観た野田マップだったぐらいの体たらくであり、自分でも驚いている。少し前は、ライブも芝居も月いちくらいの頻度で行ってた時期があったからだ。年が年だから、という解答はとてもシンプルでいいのだけど、それだけではない何かが自分に起きている気もする。
で、ライブや芝居に行かないで何してるか、というと、テレビドラマを観たり、DVDでライブを観たりしてるわけである。ある意味、引きこもり傾向にある。ライブ映像は、YUIとネットで傷ついている人たちに贈るスレッサーの小説 - hiroyukikojimaの日記にも書いた通り、YUI木村カエラParamorePerfumeのものを繰り返しみている。Perfumeについては、年末にNHKBSで放送されたものだ。
それで、Paramoreを除く3つに共通したことを発見して、驚いたことがあったので、それについて書き留めておく。それは、YUIも、木村カエラも、Perfumeも、みんなブドーカン公演の最後に感極まってしまった、という共通点だ。木村カエラは、アンコールで号泣している。あの神々しいくらいのかわいい顔がぐしゃぐしゃになってしまった。Perfumeは、あ〜ちゃんがまず泣き崩れ、最後の最後にのっちとかしゆかの目にも涙が光るのをぼくは見逃さなかった。YUIは、アンコールでTokyoを歌うとき、こらえにこらえたけれど、胸が詰まって歌えなくなり、途中ワンコーラスのムダなギター演奏を付け加えた。YUIは具体的には泣きはしなかったが、代わりに会場のファン全員が泣き崩れている。もちろん、テレビの前でぼくも泣き崩れたのはいうまでもない。
 そう。ミュージシャンにとって、ブドーカンは特別な場所なのだ
それは、ビートルズが演奏した場所だからかもしれないし、ブレイクしたミュージシャンが、最初に立つ約束の地だからかもしれないが、理由はともかく、「特別である」ことが「特別である理由」としかいいようがないだろう。そういえば、今は知らないが、ぼくらの頃は東大の入学式はブドーカンで行われ、式典のあとサークルによるライブ演奏があった。それに出演するために猛練習している友人に、ぼくは、「誰も聞かないライブのためになんでそんな練習をしているのだ」とたずねたことがあった。実際、ぼくが入学したときは、式典が終わったらみんなさっさと立ち上がり、帰っていく新入生を背に、全く閑散とした中でサークルの演奏が行われたものだった。友人の解答は、「それはブドーカンが特別な聖地だからだ」というものだった、と記憶している。
 話は脇道にそれるが、ぼくは苦しい浪人生活の末、東大に合格したとき、「大学の入学式など、親は呼ばないものだ」、と身勝手な判断で、親に入場招待券を渡さなかった。その日のニュースで、入学式の模様が報道され、親族の来場者数が新入生の3倍近くであったということが知れて、親にしばらく口を聞いてもらえなかったのを思い出した。もう30年くらい前の遠い思い出である。
そういえば、そのとき、大学に合格したら女の子を誘って行こうと、ライブのチケットを2枚購入していた。それはフォリナーというUSとUKの混成バンドのブドーカン公演で、当時かなり売れていたロックだった。メンバーの一人に、イアン・マクドナルドというキングクリムゾン(いまだに孤高の存在であるプログレバンド)の初期の立役者の一人が入っていたからどうしても観たかったのだ。無事合格したので、女の子を誘って観に行くことができた。それが現在のつれあいなので、「受かったら行く」という選択は、人生を決める賭けになってたようだ。その数年後に、フォリナーが再来日をしたときは、なんということか、ブドーカンの最前列で観た。最前「ブロック」ではなく、最前「列」であることに注意されたし。当時の親友が、早稲田の音楽鑑賞サークルに入ってて、そこの女の子がフォリナーのファンクラブの会長をやってたので、その子に頼んだら最前列になってしまったのである。いやあ、最前列で観たのは、さすがにそれが最初で最後だったが、死ぬほど好きなバンドでない限り、最前列でなぞ観るものではない。ミュージシャンの表情が微細にわかるので、我々が立ち上がって踊らないのを怒ってるのがわかるのだが、立とうとするとすごいがたいの係員が飛んできて座らせられるので、面倒だったのだ。それで座って観てると、ミュージシャンは明らかに頭に来ているのが手に取るようにわかってしまう。
その親友が、数年前、インフルエンザで亡くなった。亡くなって一年も、ぼくはその事実を知らなかった。彼の奥さんが同姓間違えで、ぼくでない「小島」に連絡したためだった。このときほどぼくは、「いつでも会えるから」という「会わない理由」が、なんて根拠の希薄な判断であるかを思い知らされた。年をとる、ということは、ある意味で、時間の流れの中においてきぼりにされて行くことである。
脇道ついでにもう一つ。レディオヘッドの二度目の来日のときは、偶然くじ運が良くて、赤坂ブリッツの最前ブロックで演奏を観た。このときのことは忘れようにも忘れられない。最低の悪夢だった。始まる前は、周りが体の小さい女の子ばかりだったので油断したのがいけなかった。演奏が始まったとたん、でかい男どもが手すりを越えて入ってきて、あっというまに押しくら饅頭状態になった。前進も後退もできなくなり、うねるラッシュアワーの中でみこしにもまれるしかなくなった。あのときは心底、生命の危機を感じた。何が演奏されたのか、ほとんど記憶がないくらいである。
 まあいろいろあるが、ぼくにとっても、ブドーカンはやはり、特別な思い出の地なのだ。あれは忘れもしない。U2の二度目の来日公演。ぼくは、チケットを手に入れるため、一夏、毎日徹夜をした。当時は、チケット取りはピアが主流ではなく、プロモーターの前に早朝に並んで整理券をゲットするのがしきたりだった。ぼくは、朝刊が来るのを待って、整理券配布の公示がないのを確認して寝る毎日だった。ミュージシャン側の都合で来日がなかなか確定せず、一ヶ月ぐらいも公示が出ず、ぼくはそんな荒れた生活で体力を消耗していってしまった。無事にチケットをゲットできたものの、ぼくは体力の消耗から風邪をこじらせて高熱が下がらず遂に入院するはめになったのだ。それで仕事を休んだ埋め合わせのために、大阪公演はパスするしかなくなった。でも、それでも、そのときに観たブドーカンのU2公演は、すばらしいものだった。期待に違わぬものだった。このときのブドーカンのステージはとても遠いものに感じた。日本とアイルランドとの距離ぐらい遠いものに感じた。世界は広いし、すばらしいものは世界中にある。そして、すばらしいものは遠くにある。それがぼくの感慨だった。その後も、U2のライブには欠かさず行っている。U2の音楽が今でも好きかどうか、というよりは、ボノに会いに行く、といったほうが正しいだろう。ボノが、今何を考え、どんなところに向かっているのか、それを聞きに行く、という感じだ。そういえば、オバマ氏の就任式でもU2が演奏していたっけ。
 去年は、一度だけブドーカンに行った。
それは、アジカンが主催するナノムゲン・フェスティバルというものだ。もちろん、アジカンのファンだが、狙いはストレイテナー(ストレイテナーを聴きながら〜変わるべきこと、変らないべきこと - hiroyukikojimaの日記参照)と見せかけて、実は活動休止が決まっていたエルレガーデンが目当てだった。エルレは、前から一度は観たい観たいと思っていたが、その最後の最後のチャンスを、つれあいが執念でゲットした。アジカンは、簡単にブドーカンという聖地をクリアしてしまったバンドである。そして、テナーやエルレというバンドにも簡単にブドーカンをクリアさせてしまうようなプロモーションの力をもった希有なバンドでもある。ぼくは、そのブドーカンのスタンド席で、エルレの演奏を聴きながら、そのすごさに感涙むせびながら、こう思った。「ブドーカンは、なんて狭くて、見やすい箱なんだろう」と。昔は、広くて遠くて、疎外感のある箱だと思っていたのに、今は不思議とそうは思わなくなっている。ブドーカンというむしろ小さめの小屋で、この焦がれても手に入らなかったエルレガーデンを観られることに感謝さえしている。時代は変わったのだと思う。
 おお、ぜんぜん収拾がつかなくなった。まあ、初老の男の思い出話だとおおめにみてやってつかあさい。