遂に、YUIのライブに行ってきた。

今日、遂に、YUIの武道館のライブ(HOLIDAYS IN THE SUN ツアー)に行った。
ほんとは、抽選にはずれていったんは諦めてたんだけど、論文のリジェクトが続いてへこんだことがあって、どうしてもYUIを観たくなった。今回観なければ、もう一生観られないんじゃないか、という思いに取り憑かれた。それで、ダメもとで、あるアクセスをしてみた。奇跡が起きた。一念が通じた。オークションでもダフ屋でもない、正規のルートでチケットが手に入った。しかも、アリーナのAブロックの7列目!信じられない近さで聴くことができた。こんなことありうるんだろうか、とほっぺたをつねった。これだから、何事も諦めちゃいかんのだ。
 YUIのライブは想像以上にすごいものだった。歌唱力はいうまでもないが、演奏、演出、スクリーン映像、趣向、すべてにおいてファンの気持ちをよく考えたものだった。こんなライブに出会えることはめったにない。そして、何より、ちょっとしたしぐさやMCや応答にかいま見せるYUIの人となり、その魅力。これはライブに行かないと決してわからないものだ。泣けてしまうのは、ファンのYUIを大切に想う気持ちだ。呼び声が絶えない。それは、かけ声とか、声援ではなく、心からの親愛だった。
 今、多くのJ-POPは青春の応援ソングとなっている。そういうのが流行っているし売れているみたいだ。これは今に始まったことじゃないし、あたりまえのことだろう。でも、ひいき目すぎるかもしれないけど、YUIの歌詞と楽曲はそういうのとはちょっと違うと思うのだ。普通の応援ソングのパタンは、「夢がある」→「かなわない現実がある」→「挫折がある」→「でもがんばれ」というものだ。でも、YUIにはそうじゃない何かを感じる。
なんといったらいいのだろう。彼女の歌詞には、「根源的な痛み」を感じる。ときとして、人は、生まれたときから「傷」を負っている。別の言葉でいうなら、生まれ持った「欠落」とか、生来の「腫れ物」といってもいいかもしれない。その痛みをなんとかしようと、人はものを作ろうとする。そうすることで、痛みの出所を理解し、知りたいと思う。あるいは心の欠落を埋めたいと思う。それが、音楽を作ったり、小説を書いたり、理論を構築したり、そういう営為として結晶する。でも、やればやるほど、おさまらない痛みに、埋まらない穴の深さに、抑制できない疼きに気がつく。満たされない自分に直面する。YUIの曲にはそういう生まれ持った痛みをひしひしと感じる。彼女が去年、ぶっちぎれて、活動をいったん停止したことは、そういうことと関係あるんじゃないだろうか。彼女は、何万人のファンができても、ツアーをすべてソールドアウトさせても、CDで驚異的な売り上げを達成しても、満たされない自分に気がついた。自分の痛みの出所が、「夢がある」→「かなわない現実がある」という単純なものじゃないことに気がついた。そして、自分をビジネスの中で操縦できなくなった。
でも、彼女は結局、ステージに戻ってきた。自分の生まれ持った「痛み」を緩和できるのは、他でもない歌うことだけだとわかったからだと思う。自分には歌があり、歌しかないことに気がついた。ファンや評論家やレコード会社を満足させるためではなく、自分の「欠落」を埋めるために歌っていることを悟った。
 って、かなり思いこみが激しすぎるかな、ぼくは。とにかく、やる気が百倍みなぎった。待ってろ、レフリー、君らを納得させる論文をいつか書いてみせる。だって、ぼくは、功名心で学問してるんじゃくて、「なにかをどうしてもわかりたい」から学問をしてるから、諦めない。ぼくの中に今は空いている穴、その穴を少しでも埋める何かを知りたいからね。YUIは、アンコールで、武道館でギター1本でマイクを使わず肉声で歌うという、無茶すぎることをやってのけた。ぼくの位置からは、まるでぼくだけに歌っているように感じられた。(Aブロックだからね。はは) 。曲は、YUIが主演した名作映画の主題歌「グッバイデイズ」だし、ストリートライブは彼女の初心だしで、もう思わず涙せずにはいられない。
 しかし・・・今日のチケットゲットで、数年分の運を使ってしまったかもしらん。もうしばらくはリジェクト続きを覚悟しとこうか。まあ、YUIか論文acceptかっつったら、YUIをとるね。(完全、ばか)。
 ーやんなっちゃうけれど、いいことがあんのも人生、そうやって続けるんだー by YUI ''Never Say Die "