三角関数も進化する

今年初めてのエントリーは、三角関数の進化型の解説をしようと思う。
 その前に、まずは、近況をいくつか。
新年早々嬉しかったのは、新著『数学的決断の技術〜やさしい確率で「たった一つ」の正解を導く方法』朝日新書が、刊行1ヶ月を待たず増刷が決まったことである。これで、昨年刊行した3冊の本は全部が増刷を勝ち取った。

多くの人に本書が読まれることの何が嬉しいかって、それは、この本がまさにぼくの専門である「意思決定理論」のどんぴしゃ・ど真ん中の本だからだ。ぼくがこの分野に興味を持ったのは、経済社会における様々な不条理や不平等や不公正は、人々の「意思決定」のありかたに起因するのではないか、と考えたからである。そして、「意思決定」についての研究が面白いのは、確率論や統計学とも関係し、数学的にも順序集合論積分論・関数解析を必要とするので、ぼくの数学的な好奇心を十分に満たしてくれるからなのだ。
 あと、新年早々の1月10日に恵比寿リキッドルームで、トリコ(このバンドについては渋谷でトリコのライブを観てきますた - hiroyukikojimaの日記参照)の出演するライブ・イベントを観てきた。そして、「赤い公園」という別の女子バンドの演奏を聴いて、このバンドにも惚れ込んでしまった。ちなみに赤い公園は、スマップに曲(Joy!!)を提供したことで旬なバンドらしい。ライブ以来、ずっとこのバンドの曲ばかり聴いている。
 さて、今回は、「三角関数の進化型」のお話である。これは、黒川信重先生の新著『現代三角関数論』岩波書店を読んで初めて出会った数学的なアイテムだ。
現代三角関数論

現代三角関数論

この本は、「多重三角関数」という三角関数の進化型を解説した本である。この「多重」の意味を、門外漢のぼくが巧く解説することは難しいが、誤解を恐れずざっくり言ってしまえば、「三角関数を多次元化する」みたいなことと思っていい。
例えば、中学で習う1次関数f(x)=ax+bは、高校(正確には大学かな)でf(x,y)=ax+by+cのように多次元化する。つまり、変数が1個から2個に増える、ということ。後者が前者の「進化型」だというのは、後者でb=0とすれば前者に一致する、ということ、そして、後者でyを固定しておけば、前者の1次関数の性質が「一定のずれ」を持って、そのまま再現される、ということだ。三角関数に関して似たようなことを行うのが「多重三角関数」なのである。
多重三角関数は、主変数xと追加的変数ω_1, ω_2,…ω_rとを持って、S_r(x, (ω_1, ω_2,…ω_r))のように書かれる。まず、1重三角関数は、
S_1(x, ω)=2sin(πx/ω)
となっていて、普通の三角関数だ(周期は2ω)。そして、2重三角関数は、
S_2(x, (ω_1, ω_2))
のように、周期を意味する変数ω_1, ω_2が導入される。つまり、周期が二重になってるのである。この2重三角関数も、普通の三角関数と同じく、「対称性」「周期性」「N倍角公式」などを備え持っているのだ。
多重三角関数が面白いのは、その定義の方法だ。実は、次のような順序で構成されるのである。
(ゼータ関数の多重化)→(ガンマ関数の多重化)→(三角関数の多重化)
つまり、最も一般人に縁遠い(数学者しか知らない)ゼータ関数を多重化させることから始まって、大学生にならないと習わないガンマ関数を多重化させた上、それを利用して、高校生も習う三角関数を多重化させる、という順だから不思議である。
ちなみに、ゼータ関数ζ(s)というのは、自然数のs乗の逆数をすべて加え合わせたもの。それを多重化させたフルビッツゼータ関数ζ(s,x)とは、各自然数にxを加えてからs乗して逆数にして加え合わせたものである。また、ガンマ関数Γ(x)とは、(eのマイナスt乗)×(tのx−1乗)を0から無限まで積分した値(つまり、グラフの面積)だ。フルビッツゼータをsが0のところで偏微分してexpするとガンマ関数になることをレルヒが1894年に発見して、それを利用することで(ゼータ関数の多重化)→(ガンマ関数の多重化)の部分にバーンズという数学者が成功した。
ガンマ関数と三角関数の関係は、
Γ(x)Γ(1−x)=π/sin(πx)
という関係式が端的に表している。つまり、ガンマ関数とxを1−xに変えたガンマ関数を掛け合わせると三角関数が出現する、という公式。これは、オイラーが1735年頃に発見していたものらしい。(ガンマ関数の多重化)→(三角関数の多重化)の部分は、基本的にはこの公式を利用して行われるのである。
この黒川先生の『現代三角関数論』岩波書店がすばらしいのは、単なる数学概念の網羅的な解説に留まらず、歴史的な経緯を明らかにしながら、発見者の紆余曲折や努力もきちんと描かれているところなのだ。こういう風に書いてもらえると、数学というのが、温かい血液の流れた、生き物のような存在であることがわかる。そして、数学者たちが、この数学という生き物をどんなに慈しみながら育ててきたのか、ということがひしひしと伝わってくる。
 こうなると知りたくなるのは、多重三角関数がいったい何の役に立つのか、だ。この本には、もちろん、それが書いてある。まず、新谷卓郎先生の研究が紹介される。新谷先生は、2重三角関数を使って、「クロネッカーの青春の夢」と呼ばれる今も未解決の問題に進展を与えたのである。「クロネッカーの青春の夢」とは、有理数体の(有限次)拡大体である「代数体」のアーベル拡大に関する問題である。2重三角関数を使うと、それが記述できるようになるらしい。新谷先生は、37歳という若さで亡くなられ、その死が惜しまれた数学者だ。1980年のこと。ぼくはこの年、数学科に在籍しており、教室で訃報に触れた。
 また、こちらのほうがもっと大事なことだと思うが、黒川先生は、多重三角関数リーマン予想解決のカギをみている。詳しくは、ぼくと黒川先生の共著『21世紀の新しい数学』技術評論社の解説を読んでほしいのだが、黒川先生はリーマン予想の解決には、ドリーニュが関数体版のリーマン予想を解決した「ゼータ関数テンソル積」の方法論が有望だと考えておられる。テンソル積とは簡単に言えば、関数の「多重化」のこと。それで、黒川先生は黒川テンソル積という概念を生み出した。そのときに利用したが、多重三角関数論だったというわけなのだ。いんやー、数学の進展というのは、とても不思議で魅惑的なものですな。
 さて、最後にもう一度、バンド・赤い公園に戻るとしよう。このバンドは、とにかく、楽曲の作り方があまりにすばらしい。非常に複雑でカッコイイ曲作りをしている。背景には、いろいろな音楽があるように思える。ライブでの演奏も素晴らしかった。トリコの特徴を「変拍子とスリリングさ」とするなら、赤い公園の特徴は「浮遊感と多様性」と言ってもいいかもしれない。赤い公園については、PVではあまりその本領は伝わらないと思うので、直接CDをお聴きになることを勧める。現在、手に入る2枚のマキシシングルとアルバムはどれもいいが、彼女たちの才能を実感するには、「透明なのか黒なのか」というマキシシングルがいいと思う。とくに、「透明」という曲と、「副流煙」という曲は、あまりにすばらしい出来である。こんな豊かな音楽性の曲を作れるのは、かつてフランク・ザッパしかいなかった。赤い公園の曲作り担当の津野さんは、ザッパに匹敵するようなアイデア持ちで、「卑猥な歌詞」に変えれば、まさに「日本のザッパ」と呼んでいい人になるかもしれない。(もちろん、猥歌を作る必要はないけど)
透明なのか黒なのか

透明なのか黒なのか

またまた長くなってしまったが、今回は、黒川先生と赤い公園と、赤黒対決ということで(ちゃんちゃん)。