数学を教える人が読んでおきたい論理の本

 ぼくは、以前から、論理とゲーム理論とをクロスオーバーさせた本を書きたい、というテーマを持っており、それは拙著『数学的推論が世界を変える〜金融・ゲーム・コンピューター』NHKブックスで果たすことができた。
この本を書くために、今まで、けっこうな冊数の数理論理学の教科書を読んできた。その中でめぐりあったのが、ゲンツェンの自然演繹と呼ばれる推論規則のセットであった。推論規則というのは、数学の証明で用いられる推論をできるだけ少ない数でセットにしたもので、おおわくではヒルベルトの体系、ゲンツェンのシークエント計算、ゲンツェンの自然演繹、というのがあって、それぞれの演繹能力は同じだけど、体系自体は異なるので、何をしたいかによって有利不利(向き不向き)がある。この3つの中で、普通の数学の証明で利用されている推論の方法は自然演繹が最も近いものである。
ぼくは自然演繹の体系を、鹿島亮『数理論理学』朝倉書店で知った。これはすばらしい教科書なんだけど、ゲーデルの完全性定理、不完全性定理を含む、多くの話題を扱っているため、ひとつひとつの項目の説明は簡潔であり、そういう意味で初心者向けではなかった。なので、自然演繹についてのもっと初等的な本が欲しいなと思って、いろいろ取り寄せていたのだけど、みな洋書で、しかもどれも満足できる内容ではなかった。そんな中で今回見つかったのが、前原昭二『記号論理入門』日本評論社であった。この本は、前にアマゾンで見たことがある気がするのだけど、レビューに「自然演繹」だと触れたものがなかったので、スルーしてしまっていたに違いない。今思えば、大変残念である。

記号論理入門 (日評数学選書)

記号論理入門 (日評数学選書)

読んでみたら、この本はめちゃめちゃ良い本だった。正直に言って、すごい名著である。記号論理の解説本で、今まで読んだなかで最高の一冊である、といいたくなるほどのできばえである。
最も気に入ったのは、序文にある次の一節だ。

最近、高等学校の教科のなかに記号論理を導入してはという話もあるようですが、わたくしはそれに賛成でも反対でもありません。しかし万が一、そのような時世がきたとしても、本書のようなことを生のままで高校生に教えることには絶対反対です。そうではなくて、そのようなときにそれを教える先生方はもちろん、そのような論議をなさる方々に、少なくとも本書程度のことは知っていただきたいと、こう思うのであります。わたくしはけっして高校生向きの教科書を書いたつもりはありません。

この序文は、昭和42年のもので、ぼくはこのときは9歳だった。そして、ぼくが高校生になる頃には、「万が一、そのような時世」がきてしまったのである。このあと高校の数学教科書に記号論理学が導入され、ぼくは初期の論理教育を受けている。多くの同級生は、論理の授業にとまどい、アレルギーを起こした記憶がある。ぼく自身は、高校の数学の授業中は、先生の講義は聴かず、本書よりずっと初等的に書かれた前原さんの本を読みふけっていたので、アレルギーを起こすどころかむしろ興味をかきかたてられた。とは言っても、その本は、真理値に関するものだったので、ぼくも長い間、「論理とは何か」ということを把握できないでいたのである。
その弊害は、塾で中学生を教えるときに生じた。幾何学での論証を教えるとき、どうしても「論理的な演繹とは何か」に触れざるを得ない。そのとき、自分が論理、とりわけ演繹システムについて、非常に曖昧な知識しかないことに直面した。その時期から、ぼくは、「推論とは何か」「推論と真理値の関係は何か」「証明とは何をしているのか」といったことが自分の中の大きなテーマとなった。経済学者に転身してから、冒頭に述べたゲーム理論の理解の要請から、自然演繹にめぐりあったわけだけど、遅きに失して無念だった。当時にこの知識があれば、もっと中学生を論理に導くことができたのにと。。。
論理が数学教育に導入されたことは悪いとは思わない。ただ、真理値(意味論)を導入したことは、高校生の論理への認識を高めるどころか、かえって有害であるように思う。とりわけ、受験レベルでは、「必要条件・十分条件」が重要となるが、これが高校生にとっての鬼門であることは言うまでもなく、教えるほうも難儀しているのではないか、と思う。こういう言い方をすると傲慢に響くだろうが、教えている側の数学教師もまた、推論規則のことをきちんと理解していないために、生徒の混乱に拍車をかけてしまっているように感じる。前原さんが前書きに書いている、「教える先生方はもちろん、そのような論議をなさる方々に、少なくとも本書程度のことは知っていただきたい」という言葉にとても共感する。
 以上を踏まえて、本書の良い点を箇条書きにすると次のようになる。
0.命題、命題関数について詳しい説明がなされている。とりわけ、自由変数や束縛変数という躓きのもととなる概念が丁寧に解説される。
1.自然演繹の体系が非常に丁寧に明快に解説されている。
2.推論規則(構文論)を先に解説し、真理値(意味論)をあとで、しかも、あくまで推論規則の立場から解説している。
3.最小論理・直観主義論理・古典論理の違いが、コンパクトに説明されている。
4.付録に書かれている、いくつかの定理の証明が、あまりに魅力的な証明方法を使っていて、読後感が良い。
 5つの点について、順に、もう少し詳しく解説しよう。
まず、0.について。「命題とは何か」とか「変数の入った命題とは何か」とかは、高校で論理を教えるときに先生が最も難儀することに違いない。授業のための大きな参考となろう。
次に、1.について。自然演繹の中には、初学者にはわかりにくいものが存在する。例えば、「∨-除去」や「∀-導入」や「∃-除去」などがそれにあたる。前掲の鹿島本には、これらのついての正確な使い方は説明されているものの、どうしてそんな使い方をするのか、付帯条件を要するのはなぜなのか、と言ったことの詳しい説明がない。それに対して、本書では、それらについて、溜飲下がるぐらいに詳しく説明されている。また、自然演繹では矛盾記号を用いのだが、この矛盾記号は、通常の数学の証明の中には出てこないから、最初に遭遇したときは誰もがとまどうと思う。この矛盾記号についても、丁寧な説明があって、わかりやすい。とくに、「Aでない」を表す「¬A」が、多くの数学基礎論の本で、「A→矛盾記号」と記載されるのだけど、それがどうしてかがよく理解できる。
2.について。これは、非常に重要な工夫だと思う。ぼくは、自分の書籍(例えば、『数学でつまずくのがなぜか』講談社現代新書など)でも、このブログでも、常々主張してきたことだけど、論理を中高生に教えるときは推論規則を教えるべきであって、真理値を教えるのは百害あって一利なしだと思っている。にもかかわらず、中高生の教科書はおろか、多くの論理学の本でさえも真理値を先に解説しているため、学習者は頭の中が混乱でいっぱいになって結局は「論理とは」「証明とは」が理解できずじまいになってしまうように感じる。それに対して、本書は、先に推論規則を徹底的に解説し、真理値は「正しい」「正しくない」という「意味」を表面に出さずに、あくまで「推論規則が、真から真を導くルールになるように機械的に導入されたもの」という立場をとっている。すごいことには、「真」「偽」は単なる「意味のない」記号である、とまで言ってのけている。この潔い態度はすばらしく斬新だと思う。しかしまあ、このような斬新な真理値の導入は、必ずしも万人にわかりやすいとは言えまい。普通に、「正しい」「正しくない」としたほうが受け入れやすいと思うから、「やりすぎ」とも評したい気分ではある。
3.について。本書は、推論規則の解説が、「最小論理」→「直観論理」→「古典論理」という順に膨らませる形式になっている。逆向きに説明すると、「古典論理」から、「排中律の公理」つまり「AまたはAでない(A∨¬A)はいつでも証明中に無条件に使って良い」を取り除いたものが直観論理であり、直観論理から「矛盾からは何でも導いていい」を取り除いたものが「最小論理」である。本書では、最初に最小論理の推論規則を解説し、次に「矛盾からは何でも導いていい」という推論規則の解説を付加し、最後に「排中律の公理」の解説を付加する、という手順で解説されている。この手順のココロは、「単に推論規則を解説するのでは効率的ではないから、現代論理学の立場から、推論規則の強弱もついでに解説する」という試みにあろう。みごとな工夫だと思う。
4で述べたすばらしい証明とは、一つ目は、「最小論理」では「矛盾からは何でも導いていい」という推論規則は導けないことの証明、二つ目が、「直観論理」では「排中律」が導けないことの証明である。しかも証明方法自体がすばらしい。前者の証明は、「記号の置き換え」という奇抜な方法で行われており、後者の証明は、「三値論理」という、「真」「偽」に加えて3つめの値を導入した突飛な方法で行われている。どちらも、(専門家でないぼくには)、驚天動地のアクロバット的な証明に見え、久々に数学の証明を読んでわくわくする体験が得られた。さらに、四つ目として「命題論理の無矛盾性」と「述語論理の無矛盾性」の証明が与えられている。ここでいう「無矛盾性の証明」とは、「矛盾記号が演繹によって導かれない」という証明のことである。とりわけ、「述語論理の無矛盾性」の証明では、「述語論理で証明された、命題論理の範囲の命題は、実は、述語論理の推論規則なしで命題論理の推論規則だけで証明できる」という補題を使っていて、その補題の証明がめちゃめちゃかっこいい。五つ目は、「命題論理の完全性定理」、すなわち、「命題論理のトートロジー(恒真命題)はすべて、自然演繹によって証明できる」の証明が収録されている。この証明は、新井敏康『数学基礎論岩波書店(この本については、ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記で紹介している)と同じものだが、ぼくが最もわかりやすいと思う証明なので、読むのが楽しかった。これらの証明は初学者には難しいから付録に回されたのだろうが、数学グルメ諸氏は、専門外の人であっても、是非ともこの付録を熟読して味わうことをお勧めしたい。
 いずれにせよ、本書は、数学を教える人が読んでおいて、心にとめておきたい一冊である。これが頭に入っていると、中高生(大学生も)が数学についてする素朴な質問に、明快に答えることができるに違いない。

数学的推論が世界を変える 金融・ゲーム・コンピューター (NHK出版新書)

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数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

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