新著『素数ほどステキな数はない』が出ます!

前回のエントリー

たくさんのインスパイアをもらえる熱力学の教科書 - hiroyukikojima’s blog

で予告した新著が、いよいよ今週末に書店に並ぶので、今回から数回、販促をエントリーすることにしたい。新著は、小島寛之素数ほどステキな数はない』技術評論社である。

 

この本は、素数についてめちゃくちゃ真正面から取り組んだ本だ。初歩から発展まで、古典から最先端まで網羅して解説している。

ぼくには既に、素数の性質を解説した本として、『世界は素数でできている』角川新書がある。この本とどこが違うかというと、今度の本は多くの定理にきちんと証明を与えている(あるいは証明のポイントを与えている)、ということだ。しかも、数学を専門に勉強したことがなくても、がんばればどうにか理解できるぐらいの平易さと丁寧さで証明を解説しているのである。これは、新書ではとてもできない芸当だった。だから、角川新書版はほとんどを「お話」に終始している。しかし、今回の本は、351ページものページ数(めっちゃ大部じゃ)を与えてもらえたので、じっくりと、そして道具立ての初歩から、解説を展開することができたのだ。

 今回は、まず、目次と各章の簡単なあらすじを晒すことにしよう。章名は、趣向として、将棋の棋士の等級に合わせた。以下である。

素数ほどステキな数はない』目次と概要

[入門編] 素数ほど面白い数はない

(素数の末尾の法則、双子素数予想、ゴールドバッハ予想メルセンヌ素数)

[初段編] なぜ、素数は無限にある?

(素数が無限個ある証明、ユークリッド-マリン数列)

[二段編] 数列の中の素数

(等差数列を成す素数オイラー素数2次式、メルセンヌ素数とリュカテスト)

[三段編] 対数関数と素数

(対数の定義、素数定理、チェビシェフ第1関数と第2関数)

[四段編] 合同式素数RSA暗号フェルマーの小定理オイラーの定理

(合同式フェルマーの小定理の証明、オイラーの定理の証明、ウィルソンの定理の証明、RSA暗号の仕組みと電子署名)

[五段編] 順列・組合せと素数素数定理への最初のアプローチ

(組合せ数の公式、フェルマーの小定理の証明、素数定理の直感的導出)

[六段編] 無限和と素数オイラーの大発見

(無限和の定義、オイラー素数定理エルデシュによる証明、双子素数)

[七段編] 虚数素数

(複素数フェルマー2平方定理、ガウス素数による証明、平方剰余、2次体)

[八段編] 素数微分積分

(微分ランダウ記号、積分微積分学の基本定理、対数積分Li(x))

[九段編] ラマヌジャンとベルトラン=チェビシェフの定理~ψ(x)による証明

(ベルトラン予想、ラマヌジャンによる証明の完全収録)

[A級編] 複素数上の微分積分

(複素関数微分積分オイラーの公式、コーシーの積分定理、コーシーの積分公式、ガンマ関数、解析接続)

[名人編] ゼータ関数リーマン予想素数定理

(ゼータ関数オイラー積、リーマン予想オイラー素数定理の証明、ディリクレの算術級数定理の証明、明示公式の証明、素数定理の証明)

ご覧の通り、素数ファンにはよだれの出る素数ずくしのメニュー。どの編にも、ぼくの素数愛がみなぎっているので、きっと微笑みながら読み通せるはずだ。

さあ、書店に急ごう。

 

たくさんのインスパイアをもらえる熱力学の教科書

 今回は、田崎晴明『熱力学=現代的な視点から』培風館を紹介しようと思う。これは、熱力学の教科書なのだが、非常に異色であり、教科書というよりは「思想書」のような風情だ。なぜなら、本書からは、熱力学だけじゃなく、たくさんのインスパイアを得られるからだ。

 ぼくは本書は相当昔から持っていたし、読んでなんとか熱力学を理解したいと思っていたけど、ぱらぱらめくってみては、「ちょっと無理」と感じて書棚に戻す、ということを繰り返していた。

そんな本書を、今回は、第6章まで一気に読めてしまった。なぜ読めるようになったかというと、友人の物理学者・加藤岳生さんの東大での熱力学の講義資料をもらって独習したことがきっかけだった。この東大での講義は、「さすが加藤くん」というみごとなもので、ぼくは加藤さんの講義で、宿願だった熱力学の本質の一端をつかむことができたのだ。

 そうした結果、今こそ田崎『熱力学』を読めるようになったのではないか、と思いたって、満を持してチャレンジしてみた。そうしたら、なんと!読めてしまったのだ。そればかりではなく、数学エッセイストとして、また経済学者として、大きなインスパイアをもらうことになったのである。この本を理解できてしまうと、「これ以上の熱力学の解説はありえないのではないか」とまでの衝撃を受けた。(加藤くん、ごめん。せっかく資料をくれたのに。笑)

 この本で読者は、たくさんのサプライズを受け取ることができ、「世界の仕組みがどうなっているか」「人間は、それをどう受け取り、どう理解するべきか」ということを、熱現象という物理現象を通して教えてもらえるだろう。

 そのサプライズには、「等温操作と断熱操作が、どう(公理論的に)本質的に異なるか」とか「`熱'というのが、実は認識不可能なもの」とか「エントロピーが完璧にわかっちゃう」とか「自由エネルギーが最初から出てくる」とかいろいろある。でも、それは次回以降にエントリーするとして、今回は本書にみなぎっている「思想」方面についてだけ紹介しようと思う。

 田崎さんは本書の第1章で、熱力学に対する思想を熱く語っている。これは田崎さんの本に共通する姿勢である。そして、それらの熱力学に関する思想と熱力学に注ぐ眼差しからは、たくさんのインスパイアを受けとることができる。とりわけ、経済学の研究者として、得るものは大きかった。田崎さんが論じているのは、「熱力学におけるマクロとミクロの関係」だ。経済学も「マクロとミクロの関係」では同じ難題に直面しているから、刺さるものがある。例えば、以下のような記述だ。

熱力学や流体力学のようなマクロなスケールでの理論(現象論)は、よりミクロな「基本的な」理論の「近似」と見なすのが還元主義の立場である。還元主義の見方が首尾一貫しているのは確かだが、私は優れた現象論は、近似などではなく、それ自身、ミクロな理論から「独立して」存在し、ある普遍的な構造を厳密に記述するものだと捉えている。

ぼくは常々、経済学が「悪しき還元主義」に陥っているのではないかと疑ってきたので、この指摘には溜飲下がる。さらに田崎さんは次のように展開する。原文は長いので、わかりやすさを優先し、引用ではなく箇条書きで要約する。

ミクロな理論を出発点とした熱力学は、少なくとも以下の3点で望ましくない。

1.マクロな世界を記述する自立した普遍的な構造という熱力学の最大の特徴が見失われる。

2.物理学を経験科学として見たとき、ミクロな統計物理学がマクロな熱力学の基礎だと考えるべきではなく、逆に、マクロな熱力学がミクロな統計物理学の基礎だと考えるべき。

3.現在のところは、統計物理学はミクロな力学とマクロな熱力学の両側から、それぞれ部分的に支えられ成立している。このような事情を踏まえれば、統計物理学から熱力学を導こうという考えは、一種の堂々巡りとみることさえできる。

これなども、そのまま経済学に置き換えることができると思う。田崎さんは、この節の締めくくりとして、次のように述べている。

人類が経験と理性で織りなした普遍的な構造の網が、かつては理解不能だった様々な現象を覆うようになっていく。そして、人類の認識の進歩につれて、この網はより豊かに、そして、より精密になっていく。このような科学観は、たった一つの「究極の」ミクロの理論が存在し、それ以外のすべての理論はそこから「近似理論」として導出されるという還元主義的な科学観よりも、少なくとも私には、はるかに魅惑的に感じられる。

この言葉からは、ひしひしと伝わるものがあるし、ぼくの経済学の研究の方向性に大きなインスパイアを与えられる。もちろん、「じゃあ、どうすればいいのか」は、まだぼんやりとしか見えないのだが。

 この本の熱力学の解説がいかにすばらしいかは、上で書いた通り、次回以降にエントリーするつもり。でも、次回は、ぼくの新著『素数ほどステキな数はない』技術評論社の販促エントリーになるから、笑、だいぶ先のことになると思う。

 

 

 

数学と友達になれて、リーマン予想とお近づきになれる本

 

すっごい長い間、ブログを休んでしまった。新著の執筆・校正をしてたのと、論文を複数並行して作成していたことに起因するんだけど、オンライン講義のせいも大きい(共同研究者がきっとこのブログ読んでいるんで、こんなん書くなら、論文を進めろと怒りそうだし)。

で、久しぶりの今回は、小山信也『「数学をする」ってどういうこと?』技術評論社の紹介をしようと思う。

 

 その前に、近況を少しだけ。

まずは、じゃーん、映画「シン・エヴァンゲリオンを観てきました!いやあ、すごい映画だった。アニメでできることのほとんどすべてがやられてるんだろうな、って思った。ただただ映像に圧倒された。

ぼくは、少し前まで、エヴァには全く関心なかった。興味を持ったのは、「シン・ゴジラ」を観てからなのだ。

シン・ゴジラ観てきた。シン・ゴジラ観るべし - hiroyukikojima’s blog

この映画で庵野監督のファンになって、それから遅まきながら以前の映画版エヴァを観た次第。そんなだから、「シン・エヴァンゲリオン」は物語が半分ぐらいしかわからなかったけど、それでも、「これはすごいアニメだ」ということだけはわかった。何について触れてもネタバレになってしまいそうなので、この辺にしておく。

あと、音楽については、

パワフルで不思議なテータ関数 - hiroyukikojima’s blog

に書いた通り、バンド「ずとまよ」にはまっているわけだけど、最近リリースされた「ぐされ」はめちゃめちゃすごい。アルバムの出来も最高なんだけど、おまけでついてるブルーレイのライブが死ぬほどすばらしい。ずとまよの衝撃は、バンド「相対性理論」以来だと思う。すべてが完璧すぎて、わなわな震える。リーダーのACAねさんは、「遂に日本にザッパが現れた」と思わせる天才さだ(迷惑だと言われそう、笑)。現在に聴くことのできる最高の音楽だと思う。

 さて、小山信也『「数学をする」ってどういうこと?』に戻ろう。小山先生と言えば、ゼータ関数の専門家だけど、この本では、数学そのものの見方・考え方・使い方を懇切丁寧に語っている。完全な数学音痴でも読める(ところが多い)。

 三部構成になっていて、

第Ⅰ部「日常編」、第Ⅱ部「無限への挑戦」、第Ⅲ部「ゼータ編」

である。第Ⅰ部は、主に新型コロナ肺炎をテーマに、こういう未知のパンデミックについて、どう数学を適用していくかを解説している。毎日、ニュースやSNSで見かける議論について、それこそ算数レベルの計算でアプローチしていて、それでも「なるほど」という結論が導ける。読めば目から鱗の人が多いと思う。

第Ⅱ部は、「無限」に関する数学を易しく解説している。これは、「無限」という数学固有の概念、そしてだからこそ、人間の思考の本性について、その深淵を垣間見せてくれるものだ。もちろん、第Ⅲ部のゼータ関数への伏線ともなっている。

ただ、ここにはぼくも一家言あるので、書き添えておく。ぼくは、「アキレスと亀」の解決を「無限和の収束」に求めるのはお門違いだ、という思想を持っている。なぜなら、それだと、「アキレスと亀」という形而上の議論に、別の形而上の議論で反論しているだけにすぎないからだ。単に「特定の無限和が収束する」ことを手前みそに定義しておいて、「だからアキレスは亀に追い付く」と言っているに過ぎないから、そんなのなんの反論にもならないと思うのだ。その「定義」が「我々のこの現実」である証拠はない。むしろ、「アキレスと亀」の議論のほうがずっと深淵な「現実に対する問いかけ」をしていると思う。この点については、詳しくは拙著『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫を参照して欲しい。

 さて、数学の素人とは言えないぼくには、結局は、第Ⅲ部がめちゃくちゃ面白かった。Ⅰ部とⅡ部が平易だからと言って見くびってはいけない。この第Ⅲ部には、最先端(2010年以降)のゼータ研究が投入されているのだ。それは、「リーマン予想」と呼ばれるリーマン予想を超えた予想についてだ。

リーマン予想というのはリーマン・ゼータ関数に関する予想だ。リーマン・ゼータ関数というのは、自然数のs乗の逆数和

\zeta(s)=\frac{1}{1^s}+\frac{1}{2^s}+\frac{1}{3^s}+\dots

のことで、この「虚の零点」(全複素数に解析接続した上で、実数でない零点)が一直線(実部が1/2の直線)上に並ぶ、というのがリーマン予想だ。大事なことは、\zeta(s)素数を使って表現できる、ということ、すなわち、

\zeta(s)=\frac{1}{1-\frac{1}{p^s}}素数pすべてにわたる積

 と表せる。これを「オイラー」と呼ぶ。これによって、リーマン・ゼータ関数の零点と素数とが結びつくことになり、リーマン予想が正しければ、素数についていろいろわかるのである(詳しくは、拙著『世界は素数でできている』角川新書参照のこと)。

一方、類似の関数として、「オイラーのL関数」というのがある。それは、

L(s)=\frac{1}{1^s}-\frac{1}{3^s}+\frac{1}{5^s}-\frac{1}{7^s}\dots

というもの。奇数のs乗の逆数の交代和となっている。これにもオイラー積があって、

L(s)=\frac{1}{1-\frac{e}{p^s}}の奇素数pすべてにわたる積・・・(☆)

ここで定数eは、pが4n+1型素数のときは1、4n+3型素数のときは-1となるもの。このL関数についても非自明な零点が一直線上に並ぶ(実部が1/2)と予想されており、これが「L関数のリーマン予想」だ。

この本では、「L関数のリーマン予想」に関するアプローチとして最新の研究を紹介している。それが「リーマン予想」なのだ。今だったら、「シン・リーマン予想」と書いたほうが通りが良かっただろう(←完全ばか)

 L関数のリーマン予想は、1/2<s<1でオイラー積(☆)が収束することに帰着される。ただ、収束と言っても(テクニカルなことだけど)絶対収束ではなく条件収束だというのが大事だ。これが証明されれば、L関数のリーマン予想が正しいことがわかる。

 一方、「深リーマン予想」とは、「オイラー積(☆)がs=1/2で条件収束する」という予想。これは、リーマン予想より強い予想だから「深(シン)」とついている。この収束は、数値計算ではかなりな桁数まで確認されており、「正しそう」という手ごたえがあるのだそうだ。

 「オイラー積の収束を攻める」という戦略がわれわれアマチュアや高校・大学生に嬉しいのは、「解析接続した関数の零点」という見えざる相手が、「極限の収束」というどうにか見える気がする相手に置き換えられることだ。これは、リーマン予想の裾野を広げることに役立つと思う。

 最後に、小山信也『「数学をする」ってどういうこと?』でめちゃめちゃ興奮した解説をひとつだけ紹介しておこう。それは、「オイラーメルテンスの定理」と呼ばれる公式、

\frac{\pi}{4}=L(1)=\frac{3}{4} \frac{5}{4} \frac{7}{8} \frac{11}{12}\frac{13}{12}\dots

のめちゃめちゃわかりやすい証明が解説されていることだ。この公式は、円周率と素数が結びつく、という感動の公式。でも証明に使われているテクニックは、ぼくの見るぶんには、単なる「エラトステネスのふるい」の応用である。まさか、この「ふるい」にこんな使い道があるとは、驚き桃ノ木であった。こんなわかりやすい証明があるとは知らなかった。

 本書は、このように、平易な語り口調ながら、日常から無限をめぐって、最後には最新のゼータ研究までに到達する、めちゃめちゃエキサイティングな数学啓蒙書だと言える。読まない手はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりにWebRonzaに投稿しました。

久しぶりにWebRonzaに記事を投稿した。テーマは、

「デジタルvs紙~どういう学習ツールが優れているのか?」↓

デジタルvs紙~どういう学習ツールが優れているのか? - 小島寛之|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

東京大学大学院総合文化研究所とNTTデータ経営研究所の共同研究の他、情報学研究所の新井紀子教授の主張と、東大経済学部の松井彰彦教授の主張とを紹介している。

全文読むには、購読者になる必要があるけど、興味ある人は是非読んでおくなまし。

 

 

 

 

剰余定理には、行列バージョンがあったんだ!

 年末ぐらいからNetflixにはまり、けっこうドラマを観ちゃっている。

 まずは、「クイーンズ・ギャンビット」。これはすごかった。あまりに傑作だった。なんと、全7話を三巡も観てしまった(笑)。

 物語は、親を失い、施設で暮らす女の子が、施設の清掃員のおじさんにチェスを教わり、チェスの天才へと成長していく、というもの。たぶん、現実に世界チャンピオンになったボビー・フィッシャーを女子に置き換えたんだと思うのだけど、シナリオがあまりによくできている。チェスの詳しい内容には踏み込まず、その代わり、アメリカ社会のいろいろな側面を投入した、みごとな青春ストーリーになっている。

 そして、最近観たのは、実写版「アカギ」。これは、アカギと鷲巣との伝説の一夜の闘いを完全に描いたもの。本郷くんのアカギもさることながら、津川さんの鷲巣がすばらしかった。マンガを読んだときは、次が知りたくて、ついつい手替わりとかおろそかにしてしまったけれど、このドラマではきちんと説明がなされるのでマンガよりわかりやすかった。

 もう一つ観たのは、実写版「咲」のドラマ4話と映画。以前は全く興味がなかったんだけど、最近、浜辺美波ちゃんの良さに目覚め、美波ちゃん目当てでこのドラマを観た。麻雀の内容もおもしろいが、とにかく当時、16歳ぐらいだった美波ちゃんの美少女ぶりがすばらしい。

 さて、これで終わったら「阿呆か」ってなってしまうので、数学のこともちょっと書こう。

 実は今、線形代数の復習をしている。なんで今頃、線形代数か。実はある疑問に肉薄したいからなんだけど、それは最後に書くことにして、今何を復習しているのかを述べる。それは、「ジョルダン標準形」なのだ。

 ぼくは、『ゼロから学ぶ線形代数講談社という本を刊行していて、けっこうロングセラーになっている。そんなのに「ジョルダン標準形」を知らないんかい、という突っ込みが来そうだが、そりゃ、知ってるさ。この本を書くときに、ちゃんと理解した。でも、その時の理解では、今肉薄したいぼくの疑問には届かないのだ。当時の理解は、草場公邦『線型代数』朝倉書房から得たものだったような気がする。これは、草場先生の本の特徴である、ものすごい明解な解説がみなぎっている。でも、今回の疑問に際して、読み直してみて、「なんか求めているものと違うな」という感触になったのだ。草場先生の本には、わかりやすく簡潔な証明が投入されているんだけど、言ってみれば「予備校の先生がやる別解名人芸」みたいなもので、「数学の深淵」とはちょっとズレている感じもするのである。

 そこで、今回は、杉浦光夫『Jordan標準形と単因子論』岩波書店を読むことにしたのだ。ぼくの疑問へのヒントがここにある予感がしたからだ。そして、この本を読んでよかったと思う。「行列の対角化」と「行列のジョルダン標準形」について、実に「深淵な」解説を展開している。

 今回は、その中から、「剰余定理の行列バージョン」を引用することにする。

「剰余定理」というのは、高校2年ぐらいで教わる多項式についての定理だ。多項式f(x)と1次多項式(x-\alpha)(\alphaは数)に関して、f(x)=(x-\alpha)Q(x)+Rを満たす多項式Q(x)と数Rが存在し、数R多項式f(x)x=\alphaを代入したf(\alpha)になる、というもの。この定理によって、「因数定理」とよばれる「f(\alpha)=0f(x)=(x-\alpha)Q(x)」が導かれる。この定理を行列に拡張したバージョンが存在したのである。有名なのかもしれないが、恥ずかしながら今の今まで知らず、杉浦先生の本で初めて知った。

 行列バージョンは次のように表現される。

tを変数とし、n次正方行列P_jたちを係数とする多項式P(t)=P_mt^m+P_{m-1}t^{m-1}+\dots+P_0がある。このとき、n次正方行列Aとn次単位行列Iに対して、P(t)=(tI-A)G(t)+Rを満たすn次正方行列G(t)Rが存在する。そして、R=A^mP_j+A^{m-1}P_{j-1}+\dots+P_0となる。

このRは、行列係数の多項式P(t)の変数tに行列Aを代入したものだから(ただし、積の順序に注意)、まさに「剰余定理」と同じことを主張している。この定理の証明は、P(t)の次数に関する数学的帰納法で出来て、とても簡単なのだ。

 この定理の系として、「行列版・因数定理」も得られる。すなわち、多項式g(t)とn次正方行列Aに関して、

g(A)=O⇔「g(t)I=(tI-A)G(t)となるG(t)が存在」

という定理だ。この定理は、意外な定理の証明に利用できる。それは、あの有名な「ハミルトン=ケーリーの定理」である。この定理は、高校数学に行列と1次変換があった我々の時代には、生意気な受験生なら知っていた定理である。

「ハミルトン=ケーリーの定理」とは、

「n次正方行列Aとその固有多項式\Phi(t)=det(tI-A)に関して\Phi(A)=0となる」

というもの。(ちなみに、det(AI-A)=0は間違った証明、ということがwikipediaに書いてあるので、参照するように)。

 この「ハミルトン=ケーリーの定理」は「行列版・因数定理」によって次のように鮮やかに証明できる。tA-Iの余因子行列をG(t)としよう(行列Aの余因子行列\tilde{A}とは、detA\neq0のとき、1/detAを掛けると逆行列になる行列のことで、一般には、A\tilde{A}=(detA)Iを満たす)。すると、(tA-I)G(t)=(det(tI-A))I=\Phi(t)Iが成り立つ。したがって、「行列版・因数定理」から\Phi(A)=0となる。

草場先生の本には、もっとダイレクトな「ハミルトン=ケーリーの定理」の証明が紹介されているが、たぶん、本質的にはこれと同じ仕組みだと思う。そして、ぼくは杉浦版の証明のほうが好みだ。なぜなら、「剰余定理」「因数定理」という高校数学で馴染みの定理の発展形が成り立つことが本質だと教えてくれていて、「一貫した哲学」が感じられるからだ。

 さて、最後に、なんでぼくが今頃、「ジョルダン標準形」を勉強したくなったかを簡単に述べておこう。それは、「多項式因数分解における分岐」というのが、行列の基本形とか、対応する空間(一般固有空間)の性質を映し出す、というのがめっちゃ不思議だからなのだ。実際、n次正方行列Aの固有多項式\Phi(t)=det(tI-A)が、\Phi(t)=(t-\alpha_1)^{m_1}(t-\alpha_2)^{m_2}\dots(t-\alpha_r)^{m_r}

と素因子分解されるとき、指数m_kAの一般固有空間の次元となる。ただし、これだと、固有空間(Aが対角化できる)の場合と、一般固有空間(Aがべき零成分を持つ)の場合とが区別がつかず、それを分類するには最小多項式m(t)(Aを代入して零行列になる最小次数の多項式)を調べる必要がある。最小多項式m(t)は、固有多項式\Phi(t)を割り切り、しかも固有多項式の根はすべて根として持っていることが示される。これらを分析すると、Aが対角化できるのは最小多項式m(t)が分岐しない場合(単根の場合)だと判明する。

 このように、「対角化」と「多項式の分岐」と「固有空間」とが魔法の鏡のように互いを映し合っている。なんかワクワクする世界感である。実は数論を勉強してみると、似たような場面に遭遇する。代数体における素数の素イデアル分解に、分岐の性質(因子の素イデアルの指数が2以上)が現れ、どうも多項式や特殊な空間と関係があるようなのである。こういうこととの関係性を知りたくて、久しぶりにジョルダン標準形を新しい観点(単因子という観点)から理解したくなったのだ。

本文中に出てきた本は以下。(杉浦先生の本はアマゾンに見つからなかった)。

線型代数 (すうがくぶっくす)

線型代数 (すうがくぶっくす)

  • 作者:草場 公邦
  • 発売日: 1988/10/01
  • メディア: 単行本
 
ゼロから学ぶ線形代数

ゼロから学ぶ線形代数

  • 作者:小島 寛之
  • 発売日: 2002/05/10
  • メディア: 単行本
 

 草場先生の本は、ぼくの知りたい「哲学」には答えてくれないけど、達人のようにエレガントな解説をしている。ぼくの線形代数の本は、対角化については一般論を書いていないけど、「固有値が物理学的にどんな意味を持っているか」について、簡明な解説をしているので、役に立つと思う。是非読んでみて。

 

 

 

パワフルで不思議なテータ関数

また、ひと月ほど間が空いてしまった。最近では、いまどき音楽好きおじさんの例に漏れず、夜好性のミュージシャンにはまっている。ぼくのはまった順は

ヨルシカ⇒YOASOBI⇒ずとまよ(←いまここ)

である。ヨルシカについては、

ネコの物語が、こよなく好きだ - hiroyukikojima’s blog

で熱烈に語っている。

夜好性はどのバンドも、斬新な歌詞と楽曲と、女性ボーカルの声質に特徴がある。今、集中的に聴いているユニット「ずっと真夜中でいいのに。」は、歌詞も楽曲も斬新で、直後の展開が予想できないような進行をする。楽器の演奏もバカテクだ(King Gnuに負けず劣らず)。また、独特な声質の女性ボーカルの、高音部と低音部の使い分けが絶品で、癖になって何度でもリピートしてしまう。いやあ、こういう斬新な音楽に出会えるのは、長生きしているご褒美だと思う。

 さて、今回は、「ヤコビのテータ関数」について語ろうと思う。

「ヤコビのテータ関数」は、ネピア定数eのべき乗を無限個足してつくられる関数。これを勉強したのは、二つのきっかけからだ。

第一は、今、素数についての啓蒙書を書いているから。ぼくは以前に、『世界は素数でできている』角川新書を上梓しているが、今書いている素数本は、横組みでもっと詳しい内容のものだ。

その本には、素数と言えばお決まりの「リーマン・ゼータ関数」が登場するが、テータ関数とリーマン・ゼータ関数には深い関係があるから、勉強をしたのだ。リーマン・ゼータ関数には「関数等式」という美しい等式があるのだが(あとで解説する)、その証明にテータ関数が利用されるからである。

一方、関数等式の勉強をしながら、「そういえば、テータ関数は、4平方定理の証明に使われたよな」と思い出したのが第二のきっかけである。「4平方定理」とは、「すべての自然数は、高々4個の平方数の和で表わされる」というフェルマーの発見した定理だ。0も平方数に含めれば、「すべての自然数は4個の平方数の和である」と言い換えてもいい。

 ぼくは、だいぶ前に出版した『世界は2乗でできている』講談社ブルーバックスの中で、「4平方定理」の証明方針を3通り紹介した。第一はラグランジュの証明で、「無限降下法」を使う初等的なものだ(初等的ではあるが、めっちゃアクロバットではある)。第二は、「p進数に関するハッセ原理」を使うもの。そして第三が、この「ヤコビのテータ関数」を使うものである。以下を参照のこと。

ステキな4平方数定理 - hiroyukikojima’s blog

しかし、この本を書いたときは、テータ関数を使う証明だけは、あまり深堀せずに、表面的になぞっただけだった。今回は、もうちょっと詳しくその証明を理解しようと思い立って、次の数論の本で勉強した次第である(とは言ってもまるまる厳密に理解したわけではない)。

数論II 岩澤理論と保型形式 (岩波オンデマンドブックス)

数論II 岩澤理論と保型形式 (岩波オンデマンドブックス)

 

 ぼくは、このように、一つの数学ツール(関数や公式)が、全く別分野に見える複数の分野に応用できるとき、とてもほれぼれしてしまう。例えば、メビウス変換は数論にもゲーム理論にも応用される。あるいは、母関数は数論にも統計学にも登場する。同じように、テータ関数も「関数等式」と「4平方定理」とに登場するから、感動してしまう。

 ヤコビのテータ関数とは、zを変数とする関数で、eの指数を、(整数の平方)×\pi iとして、それを全整数について足し合わせたものだ(\pi は円周率、i虚数単位)。すなわち、

\vartheta(z)=\cdots+e^{(-2)^2\pi i z}++e^{ (-1)^2\pi iz}+1+e^{1^2\pi i z}+e^{2^2\pi i z}+\cdots(=\Sigma_{n=-\infty}^{\infty}e^{n^2\pi i z})

 この関数は、q=e^{2\pi i z}と置いて、qの無限次の多項式として書くことが多い。それは、

\vartheta(z)=\cdots+q^{(-2)^2/2}+q^{(-1)^2/2}+1+q^{1^2/2}+q^{2^2/2}+\cdots(=\Sigma_{n=-\infty}^{\infty}q^{n^2/2})

 という形式だ。ヤコビはこの関数を使って、母関数の手法で「4平方定理」を証明したのである。やり方はこうだ。

 テータ関数の4乗、つまり、\vartheta(z)^4を考えよう。これは多項式としては、\vartheta(z)を4個掛け算し、それを展開したものだから、

q^{n_1^2/2}q^{n_2^2/2}q^{n_3^2/2}q^{n_4^2/2}=q^{(n_1^2+n_2^2+n_3^2+n_4^2)/2}

という項たちの和となっている。したがって、\vartheta(z)^4多項式表現に、q^{m/2}の項が現れるならば(係数が0でないならば)、mn_1^2+n_2^2+n_3^2+n_4^2というふうに、4個の平方数の和で表わされることがわかる。しかも、q^{m/2}の項の係数は、「4個の平方数の和として何通りに現されるか(ただし、n_jが負の場合もカウントする)」までわかることになる。

ヤコビが証明したのは、次のことだそうだ。

q^{m/2}の項の係数=8×(mの約数で4で割り切れないものの総和)」

mの約数で4で割り切れないものとして、少なくとも1が存在することから、

q^{m/2}の項の係数≧8

が得られ、4平方定理が証明される次第だ。

例えば、m=2については、(\pm1,\pm1,0, 0)で4通り、これの\pm1の位置を変えたものを考えれば、4×6=24通りの表現がある。一方、8×(2の約数で4で割り切れないものの総和)=8×(1+2)=24だから、確かに一致している。

このヤコビの公式を証明するために、上記の本では、(ヤコビの方法ではなく)、デデキントゼータ関数(有理数虚数単位iを付加した2次体のゼータ関数)とラマヌジャンが1916年に編み出した計算法を用いている。簡潔に書いているが、相当に複雑な計算となっている。さすがラマヌジャン

 もう一つの応用である「リーマン・ゼータ関数の関数等式」のほうに話を移そう。

リーマン・ゼータ関数とは、ご存知のように、自然数s乗の逆数を総和したものである。

\zeta(s)=\dfrac{1}{1^s}+\dfrac{1}{2^s}+\dfrac{1}{3^s}+\dots

 この関数は、オイラーが研究して、リーマンが複素数全体に拡張したものだ。この関数は、負の偶数全部を零点として持っているので、邪魔なそれらを消すために、\pi^{-s/2}\Gamma(s/2)を掛ける。すると、「完備ゼータ関数\hat{\zeta}(s)になる。これを使って、関数等式を表現すると、

\hat{\zeta}(s)=\hat{\zeta}(1-s)

となる。これは、完備ゼータ関数の値が、s1-sで一致することを述べている。例えば、\hat{\zeta}(2)=\hat{\zeta}(-1)のようになる。s1-sとは、1/2から反対側で等距離にあるから、「s=1/2に関する対称性」を表していると言える。未解決の難問「リーマン予想」は、\hat{\zeta}(s)=0となる零点sがすべて実部が1/2となる(\frac{1}{2}+b iという複素数)、という予想だ。もしも、実部が1/2でない零点があると、1/2に関する対称点も零点だから、2個ずつ零点が増える。関数等式は、「リーマン予想」の秘密の一端を担っている予感がある。

さて、関数等式の証明を次の2冊から要約しよう。

リーマンと数論 (リーマンの生きる数学)

リーマンと数論 (リーマンの生きる数学)

 
素数とゼータ関数 (共立講座 数学の輝き)

素数とゼータ関数 (共立講座 数学の輝き)

  • 作者:小山 信也
  • 発売日: 2015/10/24
  • メディア: 単行本
 

 ガンマ関数\Gamma(s)は、e^{-x}x^{s-1}を変数xについて0から∞まで積分して得られる変数sの関数である。

\Gamma(s)=\int_{0}^{\infty}e^{-x}x^{s-1}dx

これは、確率論や統計学など多くの分野で頻出する関数で、そういう意味で、ほれぼれするパワフルツールの仲間だ。

 この関数は、複素数全体に拡張する(解析接続する)ことができ、sが負の自然数のとき、値が∞になる。つまり、負の自然数がぜんぶ極となる。したがって、\Gamma(s/2)は負の偶数を極とするから、\zeta(s)の零点と打ち消し合いが起きて、完備ゼータ関数\hat{\zeta}(s)では負の偶数が零点ではなくなるのだ。

この\Gamma(s/2)\pi^{-s/2}自然数s乗の逆数n^{-s}を掛け算した積分は、

\pi^{-\frac{s}{2}}\Gamma(s/2)n^{-s}=\int_{0}^{\infty}\pi^{-\frac{s}{2}}e^{-x}x^{\frac{s}{2}-1}n^{-s}dx

 この式で、y=\pi^{-1}n^{-2}xと変数変換して、置換積分をすれば、

\int_{0}^{\infty}e^{-\pi n^2y}y^{\frac{s}{2}-1}dy

となる。ここで、e^{-\pi n^2y}e^{n^2\pi i z}z=i yを代入したもの。したがって、テータ関数の1つの値だと見なせる。そこで、全自然数n=1,2,3,\dotsについて足し上げれば、次の式が得られる。

\pi^{-\frac{s}{2}}\Gamma(\frac{s}{2})(\dfrac{1}{1^s}+\dfrac{1}{2^s}+\dfrac{1}{3^s}+\dots)=\int_{0}^{\infty}(e^{-\pi 1^2y}+e^{-\pi 2^2y}+\dots)y^{\frac{s}{2}-1}dy

テータ関数を改めて、\vartheta(x)=e^{-\pi 1^2y}+e^{-\pi 2^2y}+\dotsと(面倒だから同じ記号で)定義し直せば(つまり対称な和の片方を同じ記号で書いている)、

\hat{\zeta}(s)=\pi^{-\frac{s}{2}}\Gamma(\frac{s}{2})\zeta(s)=\int_{0}^{\infty}\vartheta(x)x^{\frac{s}{2}-1}dx

という公式が得られる。これはリーマンの第二積分表示と呼ばれるものだ。この公式を使うと、ゼータ関数の関数等式が証明できる。上記の小山先生の本から引用しよう。

 この積分を0から1までの部分と1から∞の部分に分け、前者のx\frac{1}{x}に変数変換すれば、1から∞までの\vartheta(\frac{1}{x})に関する積分に変わり、それを、「テータ変換公式

1+2\vartheta(\frac{1}{x})=\sqrt{x}(1+2\vartheta(x))

を使って書き換えると、

\hat{\zeta}(s)=\int_{1}^{\infty}\vartheta(x)(x^{\frac{s}{2}}+x^{\frac{1-s}{2}})\frac{dx}{x}-\frac{1}{s(1-s)}

 が得られる。複雑で頭がくらくらするかもしれないが、欲しいのはs1-sとに関する対称性だから、ちょっと観察すれば、簡単にそれがわかる。s1-sに置き換えると、x^{\frac{s}{2}}x^{\frac{1-s}{2}}が入れ替わるが、x^{\frac{s}{2}}+x^{\frac{1-s}{2}}は不変。s1-sが入れ替わるが、\frac{1}{s(1-s)}は不変だ。したがって、

\hat{\zeta}(s)=\hat{\zeta}(1-s)

が示されることになる。詳細は小山先生の本で勉強してほしいが、テータ関数の不思議なパワーがここにも炸裂しているのだけは伝わるだろう。

いやあ、数学って、ほんとに奥が深く、不思議・深遠な森である。最後に最初のほうで登場したぼくの本を宣伝しておく。

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 この二冊である。どちらも読者を数論にいざなう内容だ。黒川先生の本や小山先生の本にアタックする前に、この二冊でウォーミングアップしておくと良いと思う。

 

 

ラグランジュ乗数と帰属価格

 今、都内某所で、地方自治体主催の市民講座に登壇しており、そこで現実問題を経済学で分析するレクチャーをしている。そのレクチャーでは、現代の(広く認められている)経済理論を援用しながらも、そこかしこに宇沢弘文先生の「社会的共通資本の理論」を刷り込むサブリミナルを仕込んであるのだ(笑)。

 それで環境問題をテーマとする回に、宇沢先生の地球温暖化へのアプローチを紹介しようと思い立ち、今までちゃんと勉強しなかった宇沢先生の温暖化についての理論と初めて向き合った。読んだのはこの本。

 この本での宇沢先生の最終的なアプローチは、動学的最適化理論を使う分析である。二酸化炭素の排出量制約のもとでの、消費の通時的最適化を求めている。これをもとに、「最適な炭素税とは各国のGDPに比例させる課税である」ことを主張している。

 この動学モデルで重要な役割を果たすのが、「帰属価格(imputed price)」という概念だ。帰属価格とは、数学で「ラグランジュ乗数」と呼ばれているものと全く同じである。それが、経済学においては、「価格の一種」として登場するわけなのだ。これは実に面白いし、ラグランジュ乗数法をイメージ化する上で格好の材料だと思う。

 宇沢先生のアプローチを緻密に理解するため、ラグランジュ乗数のことをもう一度勉強し直そうと思いたった。ラグランジュ乗数の数学的仕組み、それを経済学的に「価格」として解釈する仕方、さらには、それが動学的最適化モデルの中でどう働くか、それらもろもろを考え直したくなったのだ。

 ぼくはラグランジュ乗数法のことを、すでに拙著『ゼロから学ぶ微分積分講談社で解説してる。この説明はかなり自慢のものだ。そして、レビューでも、多くの読者たちから一定の評価ももらっている(と理解している)。

ゼロから学ぶ微分積分

ゼロから学ぶ微分積分

  • 作者:小島 寛之
  • 発売日: 2001/04/23
  • メディア: 単行本
 

 たぶん、この本でのラグランジュ乗数法の解説は、現存する類書の中で最もわかりやすいに違いない。それでもなお、また考え直したいのは、もっと「直感的」でもっと「経済学的」な理解に達したくなったからなのだ。それで、最適化理論の本(オペレーションズ・リサーチの本)をいくつか読み、変分法の本もいくつか読み、それを自分の頭で咀嚼し直した。この勉強によって、前より進んだ理解に到達し、さらには、副産物として、不等式制約の「クーン・タッカーの定理」、それと動学的最適化における「ハミルトニアン」の直感的理解も手に入れることができた。

 ラグランジュ乗数法というのは、制約付き最適化の方法論だ。

例えば、座標平面上の円x^2+y^2=b上の点(x , y)に対する2変数関数f(x , y)=2x+3yの値を最大化する(bは定数とする)、みたいな問題の解法である。言い換えると、「制約x^2+y^2=bの下でのf(x , y)=2x+3yの最大値を求める」、ということだ。

愚直にやるには、x^2+y^2=bからy=\sqrt{b-x^2}と解いて2x+3yに代入して、1変数xの関数として微分すればよい。(受験数学的には、もっと巧い、もっと簡単な解法があるが、ここではスルーする)。ラグランジュ乗数法とは、このように陰関数を解かずに、多変数関数のまま通常の「微分法」に持ち込む解法なのである。

 まず、(最大化したい関数)-\lambda(制約関数)という式を作り、これをLとおく。つまり、L=(2x+3y)-\lambda(b-x^2-y^2)ということ。これをx, y,\lambdaの3変数関数とみて、それぞれの変数で偏微分して、それらが0となるという連立方程式を作り、それを解けばいいのである。このように問題を変形することで、もとは従属していた変数x, yを独立変数として扱うことができる。陰関数を求めることも、マニアックな受験テクもいらず、「(偏微分)=0」という素朴な条件で解けるのである。

 ここに登場する\lambdaが「ラグランジュ乗数」と呼ばれる。しかしこれだけだと、まるで「おまじない」「魔法」の類にしか見えない。経済学(あるいはOR)を勉強することで、現実的な意味が見えてくるようになる。

 \lambdaは、ざっくり言うと「制約が陰に備えている価格」なのだ。これを経済学では「帰属価格(imputed price)」と呼んでいる。

例えば、x, yを生産に投入する要素で、ぎりぎり使えるのがx^2+y^2=bを満たすx, yだとする。生産要素をx, yだけ使うと2x+3yの量の生産物ができるとすれば、この生産者は制約x^2+y^2=bを守りながら2x+3yを最大化するのが、経済的に最適ということになる。

このとき、最適化させるラグランジュ乗数\lambda^{*}は、「制約が陰に備えている価格」に対応する量となる。その意味は、制約bを緩めるとあたかも1単位あたり価格\lambda^{*}が付されているごとくに生産の増加が生じる、ということだ。より詳しくは、制約bを微小量dbだけ緩めると、最適産出量2x^*+3y^*\lambda^*dbだけ増える、ということ。これが、「ラグランジュ乗数は価格の一種」ということの意味である。大事なのは、制約bを微小量dbだけ緩めるとき、生産者は改めて最適な投入量x, yを計算し直し、その上で増加する生産量が\lambda^*dbだということだ。

こういうイメージが得られれば、ラグランジュ乗数も血の通った概念に見えてくるだろう。

 以上のことを直感的に理解するためには、厳密性は欠くが次のように局所分析をしてみればよい。

 一般の2変数関数f(x, y)において、x, yが微小量(dx, dy)だけ変化するとき(dは微小量につける記号)、f(x, y)の変化dfは、f_xdx+f_ydyで与えられる。ここで、f_xfx方向における偏微係数(\partial f/\partial x)である。要するに、xx+dxに増やすと、f(x, y)f_xdxの量だけ増えるということ。df=f_xdx+f_ydyという公式は、点(x, y)から点(x+dx, y)に移って、f_xdxだけ増え、次に点(x+dx, y+dy)に移動して、f_ydyだけ増える、ということだから、きわめて自然だ。(曲面を平面で近似して考えているということ)。

 ここで重要なのは、f_xdx+f_ydyをベクトル(f_x, f_y)とベクトル(dx, dy)内積と見なす見方である。(ここから先が、拙著『ゼロから学ぶ微分積分とは異なる説明)。高校数学で勉強するように、2つのベクトルの作る角が90度以下のとき、内積は0以上になる(内積は長さにcosを掛けたものだから)。つまり、点が移動する向き(dx, dy)がベクトル(f_x, f_y)と90度以下であるなら、内積≧0だから、df=f_xdx+f_ydy≧0となって、f(x, y)は増加することになる。

 さて、制約b=g(x, y)のもとで、f(x, y)の最大(または最小)を求める制約付き最適化問題を考えよう。

制約b=g(x, y)から、関数g(x, y)は一定値だから、制約を守る方向に動く限り、dg=g_xdx+g_ydy=0となる。上記に述べたことから、ベクトル(g_x, g_y)と制約を守って移動する方向のベクトル(dx, dy)との内積は0となる。したがって、もしも点(x, y)においてベクトル(f_x, f_y)とベクトル(g_x, g_y)が平行でないのなら、制約を守って移動する方向のベクトル(dx, dy)はベクトル(f_x, f_y)との内積は0でない。すると、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(dx, dy)内積、または、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(-dx, -dy)内積、のいずれか一方は正になる。これは、f(x, y)が増加する方向が存在する、ということだから、(x, y)が最適点でないことがわかる。

 以上から、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(g_x, g_y)が平行、ということが、最適点では成り立っていなければならない、ということが示された(必要条件)。これは、ある\lambdaが存在して、(f_x, f_y)=\lambda(g_x, g_y)ということである。したがって、任意の移動方向(dx,dy)に対して、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(dx,dy)内積は、ベクトル\lambda (g_x, g_y)とベクトル(dx,dy)との内積と一致している。これは、ラグランジュ関数L=f(x, y)-\lambda g(x,y)のどの方向の偏微係数も0であることを意味している(つまり、極大点や極小点の必要条件)。

 この分析法から、「帰属価格」へアプローチしてみよう。

関数f(x,y)の制約b-g(x,y)=0における最大値を、bの関数と見なして分析してみる。最適化の解x^*,y^*,\lambda^*は、すべてbの関数となっている。ここで、bが微小量dbだけ変化したとき、最適化された生産量f(x^*,y^*)がどのくらい増加するかを見てみよう。f(x^*,y^*)の増分は、ベクトル(f_x, f_y)と制約を守った移動ベクトル(dx^*,dy^*)内積だが、この移動ベクトルは(x^*,y^*)bに関する微係数のベクトルの延長である(dx^*/db,dy^*/db)dbだから、

f(x^*,y^*)の増分=((f_x, f_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)×db

である。一方、制約b=g(x^*,y^*)から、

1=g_x\times dx^*/db+g_y\times dy^*/db=((g_x, g_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)

よって、前に述べた最適化の平行条件から、

((f_x, f_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)×db

=(\lambda^*(g_x, g_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)×db

=\lambda^* db

つまり、制約をdb緩めると、その\lambda^*倍が生産にはね返る。つまり、これ制約が陰にもっている価格にあたる、ということなのだ。(数学的にきちんとした証明は、拙著『ゼロから学ぶ微分積分を参照のこと)。

 ちなみに、宇沢先生の地球温暖化に関する分析では、V_tを大気中の二酸化炭素の量として、それがdV_t/dt=v_t-\mu V_tという微分方程式にしたがって変化すると仮定される。ここでv_tは生産の要素投入a_tからv_t=ca_tによって決まる二酸化炭素排出量であり、\muは海水に吸収される二酸化炭素の割合を表す。もうひとつの制約は、投入要素に関するK=fa_tである。この制約を満たす要素投入a_tによって、x_t=Ba_tの生産物ができると仮定される。これらの制約の下で、関数u(x_t)\varphi(V_t)を最大化する問題を考えるのである(各変数はみなベクトル量。面倒なので細かい説明は省略している)。

ラグランジュ関数は、次のように与えられる。

u(x_t)\varphi(V_t)-p_t(v_t-\mu V_t)+r_t(K-fa_t)

ここで、p_tは、二酸化炭素に関する制約を緩めることによってもたらされる不効用の増加であり、「二酸化炭素の帰属価格」にあたるものである。ただし、このラグランジュ関数は動学化されているし、制約が微分方程式になっていて、一般にはハミルトニアンと呼ばれる形式になっているので、上記の説明よりずっと複雑化した手法だ。

 帰国後の宇沢先生のことを「新古典派的な手法を捨ててしまった」とか「文化論的になった」とか言う人が多いが、先生は最後まで数理的解析を続けた人だと思う。ただ、数理言語によるアプローチの一方で、「思想の自然言語による表現」も加えたのである。