女が数学を愛するとき

 今期、楽しみに観ている深夜アニメは、「カイジ」と「しおんの王」だ。
とりわけ、「しおんの王」は、女流棋士ものということで、めっちゃ盛り上がる。
主人公の安岡紫音がロリ系で、もうしぶんなし、なんだけど、
ぼくが当初ファンになったのは、二階堂沙織のほうだった。
凛とした態度と、セーラー服の取り合わせが、もうバッチグーなのである。
ただ、セーラー服から私服に着替えると、急にボヨヨンになるのは
どうしたわけなんだ、などと嬉しい疑問が浮かぶ・・・
ってなことをいいたいのではない。


 注目は、もう一人の主役級キャラの斉藤歩だ。
「彼女」は、実は、男の子である。男なのに、女を装って、女流棋士として
戦っているのである。
理由は簡単。女流のほうが、棋力が低くても、すぐに頭角を現し、
賞金を稼ぐことができると考え、それを狙ってのことなのである。


性別で区分される職種は、はっきりとルール化されていないが
結果的にそうなっているものまで含めるとけっこうあると思う。
スポーツなど、体格や筋力などが重要なファクターになるもの
は、ある意味で仕方ない面があるとは思うけど、将棋のような
知的遊戯で、そのような区分がなされるのは、社会的なファクター
によるところが大きいのだろう。


そんなことを考えていて、昔『数学セミナー』に書いたコラムのこと
を思い出した。
タイトルは、
「女が数学を愛するとき」
このコラムは連載の中でもかなり自分で気に入ったものである。
いろいろな女性科学者のエピソードを集めて書いたものだ。


例えば、マリー・キュリーが、パリの科学アカデミーの会員に
推奨されたとき、評決の末、今となってはほとんど無名の
エドワード・ブランリという「男」に二票の差で敗れたそうだ。
二度目のノーベル賞を受賞する前年の話だそうである。
また、数学者ソーニャ・コワレフスカヤは、科学アカデミー
からボーダン賞を受賞しているにもかかわらず、大学の職が
得られなかった。
ボーダン賞の受賞も、ある幸運が働いた故だった。それは、
審査からえこひいきを排除するため、応募者に匿名を義務づけ、
封筒と論文を別々に扱う規約が、女性であることをうまく
秘匿したからである。


実際、18・19世紀のヨーロッパでは、女性には科学の門は閉ざされて
いたということだ。
科学者マーガレット・キャベンディシュは、優れた学者と知り合う
には、大学教員の夫を持つしかない決断し、苦労して目的を
果たし、なんとかデカルトのサークルに仲間入りをした。
物理学者エミリ・デュ・シャトレもヴォルテールと愛人契約を
結び、彼のサロンでの人脈をたどって、学者たちと交友を持った。


あるいは、(斉藤歩棋士の逆の道で)男を装うことまでした女性
学者もいる。
例えば、フェルマー予想や弾性振動の研究に名を残すソフィー・ジェルマン
は、女性の入学が許されなかったエコール・ポリテクニークの講義
ノートを苦心して集め、男子学生の名をかたってラグランジュ
論文を送り、その偽名でガウスと文通したそうだ。
(フランス占領軍の指揮官にガウスの命を保証するように
手を回したことで、ばれてしまった顛末がまたカッコイイ)


これらのことは、コラムを書くために、
オーセン『数学史の中の女性たち』や
シービンガー『科学史消された女性たち』で読んだ。
実は、ぼくは当時、女性問題に全くうとくて、
フェミニズムを研究していた旧友に「男性優位主義者・小島め!」
と恫喝され、免罪符のために勉強したのであった。(今でも冷や汗)


彼女たちの本の中では、とりわけオーセンの次のことばが胸にささった。
「ここでは同じ場所にいるためには、力の限り走らねばなりません。
どこか他の場所に行きたければ、すくなくとも2倍の速さで走らなければ
なりません」
彼女のことばではなく、『鏡の国のアリス』の引用だというところが
心憎い。


しかし、このコラムでは口がすべって、次のようなことを
書いてしまった。
"筆者は数学者アンドレ・ヴェイユの仕事を理解したいと思って
勉強していたが、その後、彼の妹、哲学者のシモーヌ・ヴェイユ
にめぐりあった。そしていつしか彼女の思想と生きざまの大ファンと
なってしまった。シモーヌは、幼少の頃、優秀すぎる兄に劣等感と
敵意を持っていたというが、シモーヌの真摯な魂が人類に残した
勇気と希望に比べれば、アンドレなどただただ平凡で俗な
「しかし少し頭のいい」1人の男に過ぎない、といったら
読者諸氏に叱られてしまうだろうか。"


実際、このコラムは予定通り、というか予想通り、というか
読者諸氏に叱られてしまった。苦情と批判がけっこうあった、
ということを編集者が後日教えてくれた。
吉永良正さんにも、新聞の書評で、「このことばにはただただ驚いた」
というような評をいただいた。吉永さんの評価は的を射ていた。
「数学に対する愛憎」
それは、当時のぼくの数学に対する感情そのままだったと思う。


若気の至りと少々反省はあるが、しかし、
今となっては、胸を張っていってしまいたいと思う。
ぼくのこのことばに偽りはなかったのだ。
だって、20年たった今も、ぼくにとって、シモーヌの仕事は
ますます興味深くなり、アンドレの仕事はほんとにどうでもよく
なってきてるんだもん。(もちろん、アンドレの仕事はいまだに
全く理解していないことはいうまではない。とほほ)
だって、ぼくは数学者じゃないからね。