WEBRONZAに新しい論考を寄稿しました!

WEBRONZAに、新しい論考を寄稿した。タイトルは、

数学女子に育てたければ、女子校に入れよ - 小島寛之|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

というものだ。

このブログでは、主に、経済学や数学の理論の紹介、専門書・啓蒙書に対する書評、小説・映画・音楽のレビューをエントリーしている。

それに対して、WEBRONZAでは、経済学の論文から一般の人々にも価値があるだろう内容を引用して、できるかぎりわかりやすく、そして刺激的に紹介することにしている。だから、WEBRONZAでの論考は、理論よりデータ(実証)を重視している。

 ぼく自身は、経済学の研究者としては実証を全くやっていない。けれど、最近、WEBRONZAの寄稿のために実証系の論文も読むようになっている。それはぼく自身にもすごく楽しく、また、勉強になることなのだ。執筆と研究の両面に効能を持っているのだな。

 実証系の論文は、同僚や友人の経済学者から教えてもらっている。こういうことができるのは、学者のコミュニティにいるからで、そういう点では、学者になって本当によかったと痛感する。

映画『ジョーカー』はすごかった!

 年末に家族で映画『ジョーカー』を観に行った。メディアやツイッターで評判を見ていて、気になっていたので、思い切って観に行ってみたのだ。

 行ってよかった。いや、行くべき映画だった。

f:id:hiroyukikojima:20200104022505p:plain

あまりのすごさに打ちのめされた。

 昨年観た映画(テレビやレンタルも含む)で、邦画ベストは『天気の子』、洋画ベストはこの『ジョーカー』だった。『ジョーカー』については昨年だけでなく、ここ10年に見た邦画・洋画含め、ベストワンだと思う。

 『天気の子』と『ジョーカー』には、共通するプロットがいくつかある。

第一は、貧困層を描いていること、

第二は拳銃が物語上で重要な役割を果たすこと、

第三は世界の崩壊を暗示していること、

この三つだ。

でも、すべての点で、『ジョーカー』のほうがプロットの扱いが勝っていると思う。もちろん、それは決して『天気の子』を腐そうとして言っているわけではない。『天気の子』にとっては、上記の三点はメインのアイテムではないから、別に勝ち負けを決めることに意味はない。再度言っておくが、『天気の子』は大好きな映画だ。

第一の点に関して言えることは、アメリカの貧困問題は、日本のそれに比して、本当に深刻だと言うことだ。だから日本の貧困は放置していいなどとは決して言わない。解決の道すじを作らなくていけないのは同じことだ。ただ、アメリカの貧困は相対的に深刻だと言いたいのだ。

ぼくが経済学者としてグッと来たのは、『ジョーカー』には主人公が病み、狂気に落ちていく貧困の、その社会的原因が、ある程度きちんと描かれている、という点だ。『天気の子』にはそういう社会性が欠落している。(別にテーマじゃないからいいんだけどね)。そういう意味で『ジョーカー』のシナリオは本当によく練られていると思う。

第二の点について言うと、『ジョーカー』では主人公が拳銃を手にすることは不可欠な展開だが、『天気の子』ではどちらかと言えば不要だ。もちろん、それなりの役割を果たしてはいるけど、無ければ無くてもいいアイテムだと思う。

第三の点については、どちらも大切なプロットだ。『ジョーカー』は一触即発の社会状況へのメッセージであり、『天気の子』は地球温暖化への警告ととれる。

 とにかく、『ジョーカー』のシナリオはほとんど瑕疵が無く、展開も伏線も完璧と言っていい。観ている大部分の観客は、完全無欠の悪であるジョーカーに肩入れしてしまうと思う。そして、その悪の進化を観ながら、切なくて涙ぐんでしまうと思うのだ。

 『ジョーカー』は、スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』とよく比較され評されている。実際、スコセッシの撮影チームが撮影でサポートしたらしいし、『タクシードライバー』の主役ロバート・デニーロが『ジョーカー』でも重要な役を演じている。

しかし、ぼくには『ジョーカー』は『タクシードライバー』を凌駕した映画に思える。

 もちろん、共通点は多い。『タクシードライバー』はベトナム戦争という社会問題を背景に持っている。また、一人の男が狂気に落ちていく過程を描いている。その過程で拳銃が重要なアイテムになっている。そして、大統領候補の暗殺を企てる点もプロットとして近い。

 でも、どこか決定的に違うと思うのだ。

タクシードライバー』は、どちらかと言えば、ハードボイルド映画のカッコ良さを追った映画であり、社会問題は刺身のつまでしかない。拳銃はハードボイルドのアイテムだ。でも、『ジョーカー』には、強い社会的メッセージと救いようのない経済問題を打ち出している。拳銃はどうしようもない究極の弱者である主人公に強さを与えていく特殊アイテムになっている。

 とにかく、『ジョーカー』のような映画にはなかなか出会えないと思う。これが、「バットマン」というコミックヒーロー物のスピンオフであるとは驚きである。これを見てしまうとむしろ、「バットマン」が金持ちが道楽で正義をやっている胡散臭い人物に見えてきてしまうからやばい。

 バットマン・シリーズで言えば、『ダークナイト』も傑作と言われているが、ぼくは観たけどピンとこなかった。それに対して、『ジョーカー』は本当に超傑作だと思う。というか、バットマン・シリーズである必要は全くないとさえ思うのだ。

 

離散数学と線形代数と計算量理論の絶妙なコラボ本

今回は、マトウシェク『33の素敵な数学小景』(徳重典英・訳、日本評論社)の紹介をしようと思う。

 

 この本は刊行直後に入手していたにもかかわらず、読んだのはつい最近だ。なぜ、つい最近読んだかといえば、前回のエントリー、

二つの雑誌に寄稿しています! - hiroyukikojima’s blog

に書いたように、現代思想』の特集号「巨大数の世界」で徳重さんの記事を読んだからだった。その記事には、本書の内容の紹介もあり、「ああ、そういうことが書かれた本だったのか」と判明して、興味がわいて、早く読んでみたいと思ってひもといたのだ。

そうしたら、予想外にとても面白い本だとわかった。

この本は、簡単にまとめれば、「離散数学線形代数と計算量数学の絶妙なコラボ」というひじょーに面白いテーマを持っている本だ。そういうテーマの本はぼくは他に知らない。

 33個の話題のうちの6個程度を読んだだけなので、本書を的確に書評できる段階ではないけど、読んだ話題はみんな面白かったので、この段階でエントリーしておこうと思う。

 現段階で読んだトピックについて感想を簡単に言えば、「こんなことにも、線形代数が有効に使えるのか!」という驚きである。

 もちろん、線形代数微積分と並んで、最も多方面で役に立つアイテムであることは疑いない。物理学では言うまでもなく、統計学なんか線形代数の植民地と言っていいぐらいだし、経済学でさえところどころでお世話になる。

でも、それらの使用性は、「見るからに」なものなのだ。

 それに対して、本書での線形代数の利用は、(離散数学の専門家以外には)かなり意表を突くものとなっている。

 読んだ中で一番感心したのは、次の定理だ。

定理  平面上の四点で、どの二点間の距離も奇数のものはない。

これはもう、見るからに、離散数学(組み合わせ論グラフ理論)の典型的な定理だ。そんなこの定理の証明に、まさか線形代数が大活躍するなんて思わないだろう。

 詳しくは本書で厳密な証明を読んでもらうことにして、おおざっぱに証明の手筋をまとめよう。

まず、ベクトルの内積を用いて、「距離が奇数」という情報を「内積をmod.8で表したもの」に変換する。そのうえで、この情報を内積を並べた対称行列の階数の問題に書き換えるのである。そうすると、行列の積のよく知られた階数の性質に帰着され、鮮やかに解決される。

 証明はトリッキーで意表を突くものだけど、それより何より、このような「定形外の問題」に対して、標準的な線形代数の技法が有効になる、ということ自体に感動する。

 この例は「計算量」とは関係しないが、次のような問題が「計算量」の形となっている。

 今、行列の積の計算を特定のアルゴリズムで計算機に実行させたとしよう。

脇道にそれるが、ファミコンの64かなんか買ったとき、スーパーマリオの新作のソフトだけまず入手した。そうしたら、そのCGがすごかった。3Dでまわりを簡単に見回すことができるのだ。当時、工学部で情報理論をやってる知り合いがいた。で、そいつとそのことについて話してたら、そいつが「小島さん。あれは、3Dの回転を瞬時に計算する行列計算のチップが入ってるんですよ」と教えてくれた。ゲーム用のチップに行列を直接計算するアルゴリズムが入っている、ということに心底驚いた経験をしたのだな。

 さて、話戻って、行列の積の計算結果が正しいかどうかを検証するには、別のプログラムを組んで、実際に積をもう一度計算して答えを比較すればいいが、一般に行列の積のアルゴリズム実行には相当な時間がかかる。そこで、著者が提唱しているのは、1と0だけからなるベクトルを掛け算してみて、一致するかどうかを見ることだ。その際に、「計算間違いを検出できる確率は少なくとも1/2より大きい」ということが証明できるのである。だから、10個の01ベクトルで検証すれば、間違う確率は1/1000以下になる。01ベクトルとの積は簡単なアルゴリズムなので、これはかなり効率のいい検証法を与える。

 行列の積に関する本書の別の話題もある。それは、「n次正方行列2個の積には、nの3乗回の積計算が必要だが、もう少し計算量を少なくできる」、という話題だ。これについては、訳者・徳重さんによる付録に、「Strassenの方法」が例示されている。2×2行列2個の積には、(2の3乗=)8回の積計算が必要なのだが、工夫をすれば、7回の積計算で済むというのである。ぼく自身は、計算機数学にはあまり関心がないが、「そういう風にやるのか」とちょっと驚いた。

 本書の最も初歩の話題の中に、「フィボナッチ数」についてのものがある。フィボナッチ数列とは、

 1項目と2項目が1

という出発で、

 前の2項の和が次の項になる

という漸化式で与えられるものだ。

 この数列が「ルート5」のかかわる無理数2個のべき乗を使って式表現されるのは、優秀な受験生ならだれでも知っている。また、その公式がいわゆる3項間漸化式の定番の解法で求められることも常識である。しかし、本書で著者は、「無限次元のベクトル」を使ってそれを線形代数の問題に帰着させて求めている。受験数学のテクニックとまっすぐ対応させることは可能であるけれど、線形空間の性質を無限次元ベクトルに適用するのを目の当たりにすると、線形代数を熟知していてもちょっとサプライズがある。「そっかあ、線形代数ってものごとをわかりやすくするなあ」とため息が出る。

 以上は、本書のほんのわずかな部分にすぎないが、全体はさまざまなトピックで彩られているから、読んでいて飽きないと思う。ただし、ページをめくるごとに、トピックが難しくなることは覚悟しなければならない。そうではあるが、本書で使われる数学技術に通じていない人には訳者が詳しい補足解説を付録として書いてあるので、(意欲があれば)心配しなくていいと思う。

 いやあ、線形代数ってほんとすごいんだな、と思い知らされる。是非、数学ファンには一読していただきたいものだ。

行列の理論についての図形的イメージを得たかったら、ぼくの『ゼロから学ぶ線形代数講談社が大お勧めであることは言うまでもない。

 

ゼロから学ぶ線形代数

ゼロから学ぶ線形代数

  • 作者:小島 寛之
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/05/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

二つの雑誌に寄稿しています!

現在、書店に並んでいる二つの雑誌に寄稿しているので、宣伝しようと思う。

ひとつは、現代思想12月号 巨大数の世界』で、もうひとつは『現代化学12月号』だ。

現代思想 2019年12月号 特集=巨大数の世界 ―アルキメデスからグーゴロジーまで―

現代思想 2019年12月号 特集=巨大数の世界 ―アルキメデスからグーゴロジーまで―

 

 

 

現代化学 2019年 12 月号 [雑誌]

現代化学 2019年 12 月号 [雑誌]

 

 現代思想12月号 巨大数の世界』では、ぼくは「巨大な素数は世界をどう変えるか」という論考を寄せている。

この特集は、タイトル通り、「巨大数」を紹介するものだ。冒頭の討論は、鈴木真治さんという数学史家のかたとフィッシュさんという(たぶんハンドルネームの)「巨大数論」研究者の方の「有限と無限のせめぎあう場所」というものだ。

ぼくは、このフィッシュさんという方を知らなかったが、ネット通の息子に聞いたら「ネットですごく有名な人だよ」と教えてくれた。なんでも、「グラハム数」という組み合わせ数学(離散数学)を使ってとんでもなくでかい数を定義する方法を刷新して、「ふぃっしゅ数」というのを提唱したとのことだ。

なるほどぉ、とても面白い。

 ぼくはこの号で、「巨大な素数」についてのまとめを寄稿した。言うまでもないが、「巨大な素数」は、数理暗号を経由して、インターネットのセキュリティや暗号通貨の成立要件に関わっている(詳しくは、拙著『世界は素数でできている』角川新書や『暗号通貨の経済学講談社選書メチエを読んでね)。

 その原稿の中で、ぼくがこれまでの自著に書いてない新ネタとして、「ユークリッド・マリン数列」というのと、「スキューズ数」というものを解説した。

ユークリッド・マリン数列」は、ユークリッド原論の中にある「素数が無限にある」証明で提示された素数列。要約すれば、素数2からスタートして、得られた素数すべての積に1を足した数の「1より大きい最小の約数」(自動的に素因数になる)を素数リストに加えることで順次得られる数列である。数学者たちは、この「ユークリッド・マリン数列」にすべての素数が現れると予想しているが、未解決問題だ。この数列を求めるには巨大な数の素因数を求めることが必要だ。しかし、それが困難なことから、数値解析からヒントをつかむのは難しい。したがって、解決にはゼータ解析のような超越的な方法が必要だと思われる。

 一方、「1より大きい最小の約数」を「最大の素因数」に変えても「素数が無限にある」証明は可能だ。このようなプロセスで作られる素数列も「ユークリッド・マリン数列」と呼ばれるが、この数列に現れない素数は無限個あることが証明されている。本稿では、「素数5が現れない」という証明を紹介した。この証明は、高校数学での簡単なエクササイズで、しかし、ぱっと思いつくものではないので、高校の先生は是非参照して、生徒さんに出題してあげてほしい。

 「スキューズ数」とは、素数定理(素数の個数を与えたり近似したりする定理)に関連して定義される巨大数である。ぼくは、この原稿を引き受けるまで知らなかったが、編集者さんに教えてもらって、慌てて論文をダウンロードして勉強した。これは「存在はわかっているのに、実体の特定が困難な数」の一例となっている。

 本号の記事で、ぼくが個人的に面白かったのは、徳重典英さんの「大きな有限の中に現れる構造をめぐって」だ。実はこの徳重さんは(遠い昔の)知り合いだと思う。彼の最近の研究動向がわかって嬉しかった。

徳重さんの論考には、非常にエキサイティングなことがたくさん書いてあって楽しかったが、最もびっくりしたのは、次の最新の定理の紹介だ。

素数のみからなる等差数列でいくらでも長いものが存在する

この定理は、グリーンとタオが2008年に証明した。素数のみからなる等差数列については、中学生の頃から興味があったが、直近にこんな進展があったことは知らず、思わずのけぞった。しかも証明の技法は、徳重さんの解説によれば、エルゴード定理のようなある種の「ランダムネス」を利用するらしい。

さっそくグリーンとタオの論文をネットでみつけてダウンロードした。それによれば、現状、計算機数学によって発見されている最長の素数等差数列は、

56211383760397+44546738095860k;   k =0 ,1,...,22. 

の23個の素数からなる等差数列だそうだ。とても楽しい。

グリーン・タオの証明はまだ読んでいないが、がんばって読んでみたいと思っている。ちなみに、素数が等差数列を作る場合、面白い性質が知られている。すなわち、「n個の素数から成る交差がdの等差数列があるなら、dはnより小さいすべての素数で割り切れる」というものだ。実際、上記の交差d=44546738095860は、2から19までのすべての素数で割り切れる。(証明は拙著数学オリンピックに問題に見る現代数学ブルーバックスに載っているけど、残念ながら絶版。どこかの編集者さん、これを復刊しませんか?笑)

 最後に『現代化学12月号』に対する寄稿についても簡単に紹介しておこう。これは、書評だ。三冊の本を紹介しながら、統計力学に対するぼくの想いを書いた。取り上げた三冊は次である。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』(上巻・下巻)岩波新書

小出昭一郎『エントロピー共立出版ワンポイント双書

加藤岳生『ゼロから学ぶ統計力学講談社

 是非、書店で手に取ってみてほしい。

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

 

 

経済学で最も大事だと思うこと

前回のエントリー、

宇沢先生のシンポジウムに登壇します! - hiroyukikojima’s blog

で、宇沢先生の追悼イベントAll About Uzawaに登壇することを告知した。そこで、学会だけでなくテレビでも大活躍の阪大の経済学者・安田洋祐さんと(および作家の佐々木さんと)鼎談すると言ったのだけど、その鼎談が思いのほか面白かった。というか、すごく刺激的だった。

そのこともあったので、このところ宣伝しまくっている拙著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社に込めた思いと絡めて、安田さんとの議論について、ここで紹介してみたいと思う。

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

 

 まず、ミクロ経済学で大事なのは、(マクロ経済学でもほぼ同じだが)、次の三つだ。

A.主体的均衡→経済主体が与えられた環境と情報の中で最適な選択をする

B.市場均衡→需要と供給がつりあう

C.主体的均衡と市場均衡のズレ

Cを少し説明すると、例えば、「ある主体がそれを飲むことに150円の価値があると評価しているジュースを100円で買うことができたら、50円の得(余剰)が発生している」、などだ。

ぼくは、以上のA、B、Cの中で初学者や専門外の学習者にとって最も重要なのは、(あえて言えば、唯一重要なのは)、Cだと思っている。つまり、AもBもどうでもいい。

 「微分」が役立つのはAでだ。最適化に微分は不可欠だから。そういうことから、ミクロ経済学の講義で微分を教え込まれることになる。迷惑なことにも、だ。

 微分が不可欠なのは物理学もそうだが、その意味合いはぜんぜん違う。なぜなら、「微分=力学」であり、もっというなら、物理学は力学を表現するために微分を発明しただ(ニュートンの偉業だね)。物質現象では微分が本性だということなのだ。微分は物理学が発祥の地と言っていい。

だけど、経済学は(わざと口汚く言えば)物理学に追い付きたくて微分を輸入して、物理学を模倣しようとしたにすぎない。「限界革命(Marginal Revolution)」とかカッコ良く言っているが、なんのことはない、物理学へのコンプレックスの裏返しでしかないと思う。(もちろん、ミクロ経済学マクロ経済学論文では、最適化を無視したらダメなのは当然だ。主体が効率的な行動をしてなくていいなら、どんな結論も導けるから)。

以上のように、ぼくが思うに、微分は物理学では本質だけど、経済学にとってはそうではない。そういうふうな思想と思惑があって、ぼくの教科書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社では微分を完全除外することにしたのだ。

次に、Bの市場均衡は、Aに比べれば有意義、ということはそう思う。でも、Bは単に「帳尻があう」ということを言ってるだけで、それだけではパワーがあるとはいえない。大事なのは、Cの「主体的均衡と市場均衡のズレ」なのだ。Cを言い換えると「価値と価格のズレ」となる。すなわち、

価値→個人の内面にあるもの

価格→集団で決まるもの

ということだ。そして、この「個人と集団との断絶」を理解することこそが社会というものを理解することであり、経済学の本領であり、初学者にも専門外の学習者にも最も大事なことだと思うのだ。ぼくの教科書は、この点に徹底してフォーカスしているのだと強く主張したいわけなのだ。

  ではここで、冒頭に書いたAll About Uzawaでの安田さんとの議論のことに話を移そう。

この鼎談では、もちろん、宇沢弘文先生の理論と人となりについて語りあった。安田さんは、新古典派のときの論文(ワルラス均衡とブラウワー不動点定理の同値性定理)と「社会的共通資本の理論」についての論文とをひとつずつ解説した。以下、社会的共通資本の理論についてのほうだけ扱うことにする(前者も面白いんだけど)。

 社会的共通資本の理論とは、市民の生活を支える自然資本・社会資本・制度資本のコントロールを通じて、より良い社会を実現する、という思想だ。この考え方に全く重要性を見ない経済学者が多いが、ぼくは非常に貴重な理論だと思っている。その手ごたえとして、ぼくが鼎談で挙げたのは次のようなことだ。

 物理学では、熱現象の理論の構築に紆余曲折があった。熱現象とは分子の運動から生じるもので、分子一個一個はニュートンの力学方程式に従っている。だから、初期には、ニュートンの力学方程式を集団に適用すれば熱現象が説明できる、と考えられた。しかし、それが大きな混乱を呼び起こした。力学方程式には時間の方向性がないが、熱現象には時間の方向性があるからだ。つまり、分子の力学的特性を足し算しても熱現象は説明できず、「熱現象は集団そのものの特性」ということだとわかった。言い換えると、「集団の特性=統計的法則」ということである。

 これと類似のことが、経済学にもあるとぼくは感じている。

新古典派の理論(ミクロ経済学マクロ経済学)は、主体の個別な性質を足し算したものだ。しかし、それで社会という集団に起こる現象を説明できないように思う。説明できないから制御もできない。

 とは言っても、「経済現象における個の合計と集団とのギャップ」は、物理学におけるそれとは違うだろう。経済学の中で、統計力学を経済現象に応用しようとするアプローチも一部で行われているが、あまり筋がいいとは思えない。統計力学は物質の集団に関する統計法則だからだ。

 宇沢先生の社会的共通資本の理論は、社会を「個の合計」としてではなく「集団」そのものとしてアプローチしようとする試みだと思っている。だから、新古典派がぶつかっている壁を打ち破れる可能性を秘めているように思える。

 もちろん、新古典派で飯を食っている「信者たち」は、こういう考えを妄想と揶揄することだろう。

 驚いたことに、安田さんはぼくのこの考え方に一定の理解を示してくれた。安田さんの感覚では、社会を「個の合計」ではなく「集団」そのものとしてアプローチするのがゲーム理論だ、ということだ。その証拠に、「囚人のジレンマ」に代表されるように、個人の合理性が集団の不合理性を生むことが自然に起きる、という。

なるほど。

さすが、安田さん、筋がいい。

 たしかに、ゲーム理論こそ、「個」と「集団」の断絶、主体的均衡と市場均衡のズレを表現できる現状唯一の理論であろう。そういう意味では、社会的共通資本の理論に最も有用なのは現状ではゲーム理論かもしれない。

それでもぼくは、先ほどの自分の妄想にもう少し執着していたいのだが。

 さて、回り道したが、もういちど我が教科書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社の特性に戻ろう。この教科書では、Aの点は無視した。つまり、微分も、その代替物である無差別曲線も、削除している。その上で徹底したのは、「個」と「社会」とのズレがどこにあるか、というCの観点だ。そして、企業の理論では、限界費用とかのAの観点は無視して、ゲーム理論だけに道具を集中している。

この教科書は、ただの簡素化ではなく、ぼくが思う「経済学の本性」を思想として塗りこめた本なのだ。

 

 

宇沢弘文の数学

宇沢弘文の数学

 

 

 

 

 

 

 

宇沢先生のシンポジウムに登壇します!

今週末、10月26日土曜日に、

宇沢弘文没後5年追悼シンポジウム All ABOUT UZAWA

が開催される。ぼくも一つのセッションに登壇する予定なので、大々的に宣伝したい。

詳しくは、以下で。

allaboutuzawa2019.peatix.com

ぼくは、プログラム2宇沢が考えた経済学とはなにか 」、というセッションに参加する。討論するのは、『資本主義と闘った男』の著者である佐々木実さんと阪大准教授の安田洋祐さんだ。佐々木さんについては、

『フランダースの犬』と社会的共通資本の理論 - hiroyukikojima’s blog

で少し紹介している。安田さんについては、ずいぶん昔に、

イケメンたちが書いたイケメンな経済数学 - hiroyukikojima’s blog

で、イケメン経済学者として(笑)、紹介している。

どんな討論になるか、今からめっちゃ楽しみだ。是非、皆さん、ご来場くだされ。

 これだけで終わるのは、せっかく来訪して読んでくれている読者がいるのにもったいないということで、おまけとして、拙著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社について、追い打ちの販促をしておこう(いらない、とか言わないの)。

 

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

 

 

この教科書が、これまでの教科書とはかなり違うアプローチをしていることは、前回、

今回のミクロ経済学の教科書はどこが「斬新」なのか! - hiroyukikojima’s blog

でエントリーした。今回は、この中から特別な講を取り上げて売り込もう。それは、

第5講 人は心の中に「好み」を備えている
第6講 直接交渉をシミュレートする

の二つの講義だ。ここでは、普通の教科書では「効用関数」と「無差別曲線」を使って解説していることを、「選好」を使って解説している。

選好というのは、「AさんはXのほうをYより好む」ということを記述するもの。記号では、

X≻A Y

のように書く。≻は不等号のようだが、不等号とは違う。不等号「>」よりも丸みがある記号だ。「同じくらい好きかより好き」の「≽」と、「等しいかより大きい」の「≥」とを比べればより見やすいかもしれない。

選好「≻」は不等号「>」とほとんど似た性質を持ち、似た操作性を持っているので、不等号でイメージを作ればいいから難しくはない。実際、どちらも集合論における「順序集合」の「順序」にあたるもので、似た性質と操作性を持っているのは当然なのである。

「選好」を持ちだすのが良いのは、次のようないろいろな応用が可能だからだ。

(1)  リンゴ≻A ミカン

(2)  (4 , 3)≻A (5 , 1)  (ここで(x , y)は国産ウイスキーx杯と輸入ウイスキーy杯の消費を表す)

(3)  乃木坂46A  欅坂46

(4)  福祉社会≻A 競争社会

(1)と(2)は消費選択の分析に使えるし、(3)はアイドル選択の分析(笑)に使えるし、(4)は社会選択の分析に使える。もちろん、「効用関数」と「無差別曲線」を使ってもがんばれば同じことができるだろうが、相当な遠回りになることは否めないと思う。

ぼくの教科書では、第5講で「選好記号」を導入して、まず、アイドルのファン投票を例に「投票のパラドクス」を説明する。そして、「選好」だけを使って、いわゆる2財モデルと呼ばれるものの中の「完全代替財」と「完全補完財」を定義する((2)を使う)。その上で、予算制約を満たす消費可能集合の中からの最適選択を(離散的にだけど)説明する。このルートだと「効用関数」「無差別曲線」よりずっと解説が短くて済むのだ。練習問題では、「オストロゴルスキーのパラドクス」(坂井豊貴さんの本から引用した)という政策選択の問題((4)にあたる)を扱っている。こう並べると難しく聞こえるかもしれないが、どっこいぜんぜん難しくない。従来の教科書より世界一わかりやすい(笑)。

第6講では、「選好」を土台に物々交換のモデルを説明している。普通はエッジワース・ボックスという(専門家はめっちゃ好きだが)初学者には難解なツールを使うものを、かなりわかりやすくスピーディに(離散的にだけど)説明できている。その上で、「異時点間の消費選択のモデル」もおおざっぱに紹介する。

 こんなふうに、従来の教科書とはかなり違うアプローチをしているので、是非、ご高覧いただきたい。

 この教科書を書いてて、「選好理論(preference theory)」というのがどこから来たのか知りたくなって、いくつか文献を読んでみた。

冒頭にシンポジウムを告知した宇沢弘文先生の本によれば、19世紀のアービング・フィッシャーとパレートが先駆者と書いてある。そのあと、20世紀にサミュエルソンが顕示選好という概念(観測された消費から選好を導出する)を持ちだし、完成に近づき、それをハウタッカーが完成させたように書いてあった。

英語版のウィキペディアによると、フリッシュという経済学者が1926年頃に最初のモデルを開発した。しかし、フォーマルなモデルを作ったのは、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』だということだ。彼らはこの本で、「期待効用」というのを公理化している。その影響を受けて、マルシャック、ハウタッカー、アローらが選好理論を利用するようになったそうだ。そして、現在の形式を完成したのがド・ブリューだが、(なんということか)数学集団ブルバキの影響を受けて、消費者理論を完全構築したとのことだ。

 手前みそになるが、ぼくの考えでは、21世紀のミクロ経済学教育は、「選好」を下敷きに構成したほうがいいように思うのだな。

 もういちどダメ推しするが、シンポジウムに是非ともお越しを!!

 

 

 

 

今回のミクロ経済学の教科書はどこが「斬新」なのか!

やっと、書店に新著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社が並んだ。前回のエントリー、

ミクロ経済学の教科書を書きました! - hiroyukikojima’s blog

では、序文をさらしたので、今回はこの教科書に導入した工夫と込めた思いについてエントリーしようと思う。

まず、項目の工夫だ。

 前回にも書いた通り、ぼくは従来のミクロ経済学の教科書の教え方を良いと思っていない。ミクロ経済学の「教義」みたいなものをミクロ経済学の「信者」が語っているにすぎないからだ。信心のある人にはいいけど、そうじゃない人にはちんぷんかんぷんだし、嫌悪感が出ると思う。学習者は心の中に「なんでそれが重要なの?」という困惑を浮かべるものの、「きっと先生が教えてるんだから、大事なことなんだろう」と自分を説得して、「暗記」に走っているのに違いない。かわいそうに。

 ぼくは年を取ってからミクロ経済学を学んだせいか、従来の教科書の項目にはピンとこないものが多い。「教義」を覚えて「徳」を積んで「階級」を上げていこう、という人(大学院生とか学者予備軍)にはいいと思うけど、社会で生きていく基礎的教養とか実践的知識としては無駄・無意味のように思える。

 でも、全部が全部、無駄・無意味ということではない。かなり有効な知識もあるのだ。だから、それだけを取り上げて、なんとか上手に構成したいと思った。そういう考えから作ったのが、次の目次だ。

第1講 需要曲線と供給曲線
第2講 野菜の需要曲線と価格弾力性
第3講 オークションはどんな仕組みになっているか
第4講 売った人の得、買った人の得~余剰の考え方
第5講 人は心の中に「好み」を備えている
第6講 直接交渉をシミュレートする
第7講 手番のあるゲームの戦略
第8講 戦略としての価格付け
第9講 企業はなぜ倒産するまで値下げ競争するのか
第10講 ナッシュ均衡はいろいろな事例を説明できる

 第1講2講は、「需要曲線と供給曲線の交点が均衡」という定番の内容だけど、2講で「ナスの需要曲線」を実際のデータから描く方法を解説してるのは、他と一線を画す(林敏彦先生の教科書から学んだ)。その上で、こういうことは他のほとんどの商品では不可能な理由も説明してる。これは、すごく大事なことなのに、たいていの教科書には書いてない。あとは、いろいろな財・サービスが高かったり安かったりする理由をもちろん需要・供給から説明するんだけど、その際に「価格弾力性一定」の曲線を利用してる。こうすることで、限界原理(要するに微分)を避けたのだ。

次に第3講・4講では、「オークション」を題材に商取引のシミュレートをしてる。オークションは、「需要曲線と供給曲線が浮かびあがる」「均衡を強制的に作り出す」という二つの意味で均衡理論の実践だ(もちろん、実践の歴史は理論よりずっと古いけど)。だから、抽象的な均衡理論よりも直接的に学生さんのイメージに訴えかけられると思う。とりわけ、「消費者余剰」「生産者余剰」を実感するのに適しており、それらの図解もわかりやすく与えることができるこの2講が本書の最もウリだと自慢したい。

第5講・6講は、普通の教科書では消費者理論にあたるところだけど、無差別曲線とか効用関数とかを潔くやめたところが工夫だ。そんなん、大学院に行く学生にしか何の意味ももたない、ただの「教義」、ただの「経典」だと思う。それで代わりに「選好」を導入した。「選好」は一般には中級の教科書に出てくるアイテムだけど、ぼくは「選好」のほうが効用関数よりずっとわかりやすいと思う。その上、「選好」を基礎にするなら、最適化の考え方も簡単に説明できるし、何より、消費者理論以外のミクロ経済学的なアプローチ(例えば、投票とか異時点間代替とか)などにも準備に時間をかけずに進むことができる。この2講も、この教科書の工夫をこらしたところなのだ。

さて、残るは企業理論なんだけど、ここは悩みに悩んだ末、ゲーム理論にすべてを委ねることにした。企業理論は、通常の教科書では最もつまらないところだ。短期と長期がどうしただとか、平均費用と限界費用がどうしただとか退屈このうえない。そこで、もう、こういう退屈な内容はざっぱりやめて、企業の行動をすべてバトルと捉え、ゲーム理論に任せることにした。そのほうが、リアルでビビッドな形で企業の振舞いを学習者に伝えられると思ったからだ。まあ、ここの部分はいろいろなゲーム理論の書籍からぱくった(もとい、引用した)ので、そんなに斬新とは言えないんだけど(笑い)。

 もうひとつ自慢したいのは、練習問題だ。これは良い問題、というわけではなく、学習者の趣味にへつらうようなものである。興味を持ってもらうために、できるだけ卑近な例、いまふうな話題を問題設定とした。例えば、次のようなアイドル方面のもの。

[第2講の練習問題]

グラフは、ある女子アイドルユニット所属のアイドルの需要曲線と供給曲線である。横軸のpは、企業(芸能事務所)に対しては、アイドル1人が稼ぎ出す(平均の)売上げ(CD・ライブ・握手会など)であり、消費者(アイドルファン)に対しては、アイドル1人のために使う総金額である。縦軸のqは、企業(芸能事務所)に対しては、デビューさせるアイドルの人数であり、消費者(アイドルファン)に対しては、推しメンとして支えるアイドルの総人数である。

(以下、略)

あるいは、アニオタ方面の問題だとこういうの。

[第6講の練習問題]

Aさんは最初に、初音ミクの自作フィギャーを10体保有している。Bさんは最初に、自作ガンプラを6体保有している。(x, y)という座標はxがフィギャーの体数、yがガンプラの体数を表すものとする。

Aさんの選好順位は次にようになっている→(略)

Bさんの選好順位は次にようになっている→(略)

この2人が、フリーマーケットで出会い、物々交換の交渉をした状況を考えて、以下のカッコを適切に埋めよ。

(以下、略)

こうしてさらしてみると、自分のバカっぷりが露見して恥ずかしいが、この程度のことでも学生が興味を持って食いついてくれるのは、確認済みである。ぼくの思いは、とにかく、無味乾燥なミクロ経済学の講義をわかりやすく、楽しいものにしたい、ということなのだ。