二つの雑誌に寄稿しています!

現在、書店に並んでいる二つの雑誌に寄稿しているので、宣伝しようと思う。

ひとつは、現代思想12月号 巨大数の世界』で、もうひとつは『現代化学12月号』だ。

現代思想 2019年12月号 特集=巨大数の世界 ―アルキメデスからグーゴロジーまで―

現代思想 2019年12月号 特集=巨大数の世界 ―アルキメデスからグーゴロジーまで―

 

 

 

現代化学 2019年 12 月号 [雑誌]

現代化学 2019年 12 月号 [雑誌]

 

 現代思想12月号 巨大数の世界』では、ぼくは「巨大な素数は世界をどう変えるか」という論考を寄せている。

この特集は、タイトル通り、「巨大数」を紹介するものだ。冒頭の討論は、鈴木真治さんという数学史家のかたとフィッシュさんという(たぶんハンドルネームの)「巨大数論」研究者の方の「有限と無限のせめぎあう場所」というものだ。

ぼくは、このフィッシュさんという方を知らなかったが、ネット通の息子に聞いたら「ネットですごく有名な人だよ」と教えてくれた。なんでも、「グラハム数」という組み合わせ数学(離散数学)を使ってとんでもなくでかい数を定義する方法を刷新して、「ふぃっしゅ数」というのを提唱したとのことだ。

なるほどぉ、とても面白い。

 ぼくはこの号で、「巨大な素数」についてのまとめを寄稿した。言うまでもないが、「巨大な素数」は、数理暗号を経由して、インターネットのセキュリティや暗号通貨の成立要件に関わっている(詳しくは、拙著『世界は素数でできている』角川新書や『暗号通貨の経済学講談社選書メチエを読んでね)。

 その原稿の中で、ぼくがこれまでの自著に書いてない新ネタとして、「ユークリッド・マリン数列」というのと、「スキューズ数」というものを解説した。

ユークリッド・マリン数列」は、ユークリッド原論の中にある「素数が無限にある」証明で提示された素数列。要約すれば、素数2からスタートして、得られた素数すべての積に1を足した数の「1より大きい最小の約数」(自動的に素因数になる)を素数リストに加えることで順次得られる数列である。数学者たちは、この「ユークリッド・マリン数列」にすべての素数が現れると予想しているが、未解決問題だ。この数列を求めるには巨大な数の素因数を求めることが必要だ。しかし、それが困難なことから、数値解析からヒントをつかむのは難しい。したがって、解決にはゼータ解析のような超越的な方法が必要だと思われる。

 一方、「1より大きい最小の約数」を「最大の素因数」に変えても「素数が無限にある」証明は可能だ。このようなプロセスで作られる素数列も「ユークリッド・マリン数列」と呼ばれるが、この数列に現れない素数は無限個あることが証明されている。本稿では、「素数5が現れない」という証明を紹介した。この証明は、高校数学での簡単なエクササイズで、しかし、ぱっと思いつくものではないので、高校の先生は是非参照して、生徒さんに出題してあげてほしい。

 「スキューズ数」とは、素数定理(素数の個数を与えたり近似したりする定理)に関連して定義される巨大数である。ぼくは、この原稿を引き受けるまで知らなかったが、編集者さんに教えてもらって、慌てて論文をダウンロードして勉強した。これは「存在はわかっているのに、実体の特定が困難な数」の一例となっている。

 本号の記事で、ぼくが個人的に面白かったのは、徳重典英さんの「大きな有限の中に現れる構造をめぐって」だ。実はこの徳重さんは(遠い昔の)知り合いだと思う。彼の最近の研究動向がわかって嬉しかった。

徳重さんの論考には、非常にエキサイティングなことがたくさん書いてあって楽しかったが、最もびっくりしたのは、次の最新の定理の紹介だ。

素数のみからなる等差数列でいくらでも長いものが存在する

この定理は、グリーンとタオが2008年に証明した。素数のみからなる等差数列については、中学生の頃から興味があったが、直近にこんな進展があったことは知らず、思わずのけぞった。しかも証明の技法は、徳重さんの解説によれば、エルゴード定理のようなある種の「ランダムネス」を利用するらしい。

さっそくグリーンとタオの論文をネットでみつけてダウンロードした。それによれば、現状、計算機数学によって発見されている最長の素数等差数列は、

56211383760397+44546738095860k;   k =0 ,1,...,22. 

の23個の素数からなる等差数列だそうだ。とても楽しい。

グリーン・タオの証明はまだ読んでいないが、がんばって読んでみたいと思っている。ちなみに、素数が等差数列を作る場合、面白い性質が知られている。すなわち、「n個の素数から成る交差がdの等差数列があるなら、dはnより小さいすべての素数で割り切れる」というものだ。実際、上記の交差d=44546738095860は、2から19までのすべての素数で割り切れる。(証明は拙著数学オリンピックに問題に見る現代数学ブルーバックスに載っているけど、残念ながら絶版。どこかの編集者さん、これを復刊しませんか?笑)

 最後に『現代化学12月号』に対する寄稿についても簡単に紹介しておこう。これは、書評だ。三冊の本を紹介しながら、統計力学に対するぼくの想いを書いた。取り上げた三冊は次である。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』(上巻・下巻)岩波新書

小出昭一郎『エントロピー共立出版ワンポイント双書

加藤岳生『ゼロから学ぶ統計力学講談社

 是非、書店で手に取ってみてほしい。

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

 

 

経済学で最も大事だと思うこと

前回のエントリー、

宇沢先生のシンポジウムに登壇します! - hiroyukikojima’s blog

で、宇沢先生の追悼イベントAll About Uzawaに登壇することを告知した。そこで、学会だけでなくテレビでも大活躍の阪大の経済学者・安田洋祐さんと(および作家の佐々木さんと)鼎談すると言ったのだけど、その鼎談が思いのほか面白かった。というか、すごく刺激的だった。

そのこともあったので、このところ宣伝しまくっている拙著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社に込めた思いと絡めて、安田さんとの議論について、ここで紹介してみたいと思う。

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

 

 まず、ミクロ経済学で大事なのは、(マクロ経済学でもほぼ同じだが)、次の三つだ。

A.主体的均衡→経済主体が与えられた環境と情報の中で最適な選択をする

B.市場均衡→需要と供給がつりあう

C.主体的均衡と市場均衡のズレ

Cを少し説明すると、例えば、「ある主体がそれを飲むことに150円の価値があると評価しているジュースを100円で買うことができたら、50円の得(余剰)が発生している」、などだ。

ぼくは、以上のA、B、Cの中で初学者や専門外の学習者にとって最も重要なのは、(あえて言えば、唯一重要なのは)、Cだと思っている。つまり、AもBもどうでもいい。

 「微分」が役立つのはAでだ。最適化に微分は不可欠だから。そういうことから、ミクロ経済学の講義で微分を教え込まれることになる。迷惑なことにも、だ。

 微分が不可欠なのは物理学もそうだが、その意味合いはぜんぜん違う。なぜなら、「微分=力学」であり、もっというなら、物理学は力学を表現するために微分を発明しただ(ニュートンの偉業だね)。物質現象では微分が本性だということなのだ。微分は物理学が発祥の地と言っていい。

だけど、経済学は(わざと口汚く言えば)物理学に追い付きたくて微分を輸入して、物理学を模倣しようとしたにすぎない。「限界革命(Marginal Revolution)」とかカッコ良く言っているが、なんのことはない、物理学へのコンプレックスの裏返しでしかないと思う。(もちろん、ミクロ経済学マクロ経済学論文では、最適化を無視したらダメなのは当然だ。主体が効率的な行動をしてなくていいなら、どんな結論も導けるから)。

以上のように、ぼくが思うに、微分は物理学では本質だけど、経済学にとってはそうではない。そういうふうな思想と思惑があって、ぼくの教科書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社では微分を完全除外することにしたのだ。

次に、Bの市場均衡は、Aに比べれば有意義、ということはそう思う。でも、Bは単に「帳尻があう」ということを言ってるだけで、それだけではパワーがあるとはいえない。大事なのは、Cの「主体的均衡と市場均衡のズレ」なのだ。Cを言い換えると「価値と価格のズレ」となる。すなわち、

価値→個人の内面にあるもの

価格→集団で決まるもの

ということだ。そして、この「個人と集団との断絶」を理解することこそが社会というものを理解することであり、経済学の本領であり、初学者にも専門外の学習者にも最も大事なことだと思うのだ。ぼくの教科書は、この点に徹底してフォーカスしているのだと強く主張したいわけなのだ。

  ではここで、冒頭に書いたAll About Uzawaでの安田さんとの議論のことに話を移そう。

この鼎談では、もちろん、宇沢弘文先生の理論と人となりについて語りあった。安田さんは、新古典派のときの論文(ワルラス均衡とブラウワー不動点定理の同値性定理)と「社会的共通資本の理論」についての論文とをひとつずつ解説した。以下、社会的共通資本の理論についてのほうだけ扱うことにする(前者も面白いんだけど)。

 社会的共通資本の理論とは、市民の生活を支える自然資本・社会資本・制度資本のコントロールを通じて、より良い社会を実現する、という思想だ。この考え方に全く重要性を見ない経済学者が多いが、ぼくは非常に貴重な理論だと思っている。その手ごたえとして、ぼくが鼎談で挙げたのは次のようなことだ。

 物理学では、熱現象の理論の構築に紆余曲折があった。熱現象とは分子の運動から生じるもので、分子一個一個はニュートンの力学方程式に従っている。だから、初期には、ニュートンの力学方程式を集団に適用すれば熱現象が説明できる、と考えられた。しかし、それが大きな混乱を呼び起こした。力学方程式には時間の方向性がないが、熱現象には時間の方向性があるからだ。つまり、分子の力学的特性を足し算しても熱現象は説明できず、「熱現象は集団そのものの特性」ということだとわかった。言い換えると、「集団の特性=統計的法則」ということである。

 これと類似のことが、経済学にもあるとぼくは感じている。

新古典派の理論(ミクロ経済学マクロ経済学)は、主体の個別な性質を足し算したものだ。しかし、それで社会という集団に起こる現象を説明できないように思う。説明できないから制御もできない。

 とは言っても、「経済現象における個の合計と集団とのギャップ」は、物理学におけるそれとは違うだろう。経済学の中で、統計力学を経済現象に応用しようとするアプローチも一部で行われているが、あまり筋がいいとは思えない。統計力学は物質の集団に関する統計法則だからだ。

 宇沢先生の社会的共通資本の理論は、社会を「個の合計」としてではなく「集団」そのものとしてアプローチしようとする試みだと思っている。だから、新古典派がぶつかっている壁を打ち破れる可能性を秘めているように思える。

 もちろん、新古典派で飯を食っている「信者たち」は、こういう考えを妄想と揶揄することだろう。

 驚いたことに、安田さんはぼくのこの考え方に一定の理解を示してくれた。安田さんの感覚では、社会を「個の合計」ではなく「集団」そのものとしてアプローチするのがゲーム理論だ、ということだ。その証拠に、「囚人のジレンマ」に代表されるように、個人の合理性が集団の不合理性を生むことが自然に起きる、という。

なるほど。

さすが、安田さん、筋がいい。

 たしかに、ゲーム理論こそ、「個」と「集団」の断絶、主体的均衡と市場均衡のズレを表現できる現状唯一の理論であろう。そういう意味では、社会的共通資本の理論に最も有用なのは現状ではゲーム理論かもしれない。

それでもぼくは、先ほどの自分の妄想にもう少し執着していたいのだが。

 さて、回り道したが、もういちど我が教科書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社の特性に戻ろう。この教科書では、Aの点は無視した。つまり、微分も、その代替物である無差別曲線も、削除している。その上で徹底したのは、「個」と「社会」とのズレがどこにあるか、というCの観点だ。そして、企業の理論では、限界費用とかのAの観点は無視して、ゲーム理論だけに道具を集中している。

この教科書は、ただの簡素化ではなく、ぼくが思う「経済学の本性」を思想として塗りこめた本なのだ。

 

 

宇沢弘文の数学

宇沢弘文の数学

 

 

 

 

 

 

 

宇沢先生のシンポジウムに登壇します!

今週末、10月26日土曜日に、

宇沢弘文没後5年追悼シンポジウム All ABOUT UZAWA

が開催される。ぼくも一つのセッションに登壇する予定なので、大々的に宣伝したい。

詳しくは、以下で。

allaboutuzawa2019.peatix.com

ぼくは、プログラム2宇沢が考えた経済学とはなにか 」、というセッションに参加する。討論するのは、『資本主義と闘った男』の著者である佐々木実さんと阪大准教授の安田洋祐さんだ。佐々木さんについては、

『フランダースの犬』と社会的共通資本の理論 - hiroyukikojima’s blog

で少し紹介している。安田さんについては、ずいぶん昔に、

イケメンたちが書いたイケメンな経済数学 - hiroyukikojima’s blog

で、イケメン経済学者として(笑)、紹介している。

どんな討論になるか、今からめっちゃ楽しみだ。是非、皆さん、ご来場くだされ。

 これだけで終わるのは、せっかく来訪して読んでくれている読者がいるのにもったいないということで、おまけとして、拙著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社について、追い打ちの販促をしておこう(いらない、とか言わないの)。

 

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

世界一わかりやすいミクロ経済学入門 (KS専門書)

 

 

この教科書が、これまでの教科書とはかなり違うアプローチをしていることは、前回、

今回のミクロ経済学の教科書はどこが「斬新」なのか! - hiroyukikojima’s blog

でエントリーした。今回は、この中から特別な講を取り上げて売り込もう。それは、

第5講 人は心の中に「好み」を備えている
第6講 直接交渉をシミュレートする

の二つの講義だ。ここでは、普通の教科書では「効用関数」と「無差別曲線」を使って解説していることを、「選好」を使って解説している。

選好というのは、「AさんはXのほうをYより好む」ということを記述するもの。記号では、

X≻A Y

のように書く。≻は不等号のようだが、不等号とは違う。不等号「>」よりも丸みがある記号だ。「同じくらい好きかより好き」の「≽」と、「等しいかより大きい」の「≥」とを比べればより見やすいかもしれない。

選好「≻」は不等号「>」とほとんど似た性質を持ち、似た操作性を持っているので、不等号でイメージを作ればいいから難しくはない。実際、どちらも集合論における「順序集合」の「順序」にあたるもので、似た性質と操作性を持っているのは当然なのである。

「選好」を持ちだすのが良いのは、次のようないろいろな応用が可能だからだ。

(1)  リンゴ≻A ミカン

(2)  (4 , 3)≻A (5 , 1)  (ここで(x , y)は国産ウイスキーx杯と輸入ウイスキーy杯の消費を表す)

(3)  乃木坂46A  欅坂46

(4)  福祉社会≻A 競争社会

(1)と(2)は消費選択の分析に使えるし、(3)はアイドル選択の分析(笑)に使えるし、(4)は社会選択の分析に使える。もちろん、「効用関数」と「無差別曲線」を使ってもがんばれば同じことができるだろうが、相当な遠回りになることは否めないと思う。

ぼくの教科書では、第5講で「選好記号」を導入して、まず、アイドルのファン投票を例に「投票のパラドクス」を説明する。そして、「選好」だけを使って、いわゆる2財モデルと呼ばれるものの中の「完全代替財」と「完全補完財」を定義する((2)を使う)。その上で、予算制約を満たす消費可能集合の中からの最適選択を(離散的にだけど)説明する。このルートだと「効用関数」「無差別曲線」よりずっと解説が短くて済むのだ。練習問題では、「オストロゴルスキーのパラドクス」(坂井豊貴さんの本から引用した)という政策選択の問題((4)にあたる)を扱っている。こう並べると難しく聞こえるかもしれないが、どっこいぜんぜん難しくない。従来の教科書より世界一わかりやすい(笑)。

第6講では、「選好」を土台に物々交換のモデルを説明している。普通はエッジワース・ボックスという(専門家はめっちゃ好きだが)初学者には難解なツールを使うものを、かなりわかりやすくスピーディに(離散的にだけど)説明できている。その上で、「異時点間の消費選択のモデル」もおおざっぱに紹介する。

 こんなふうに、従来の教科書とはかなり違うアプローチをしているので、是非、ご高覧いただきたい。

 この教科書を書いてて、「選好理論(preference theory)」というのがどこから来たのか知りたくなって、いくつか文献を読んでみた。

冒頭にシンポジウムを告知した宇沢弘文先生の本によれば、19世紀のアービング・フィッシャーとパレートが先駆者と書いてある。そのあと、20世紀にサミュエルソンが顕示選好という概念(観測された消費から選好を導出する)を持ちだし、完成に近づき、それをハウタッカーが完成させたように書いてあった。

英語版のウィキペディアによると、フリッシュという経済学者が1926年頃に最初のモデルを開発した。しかし、フォーマルなモデルを作ったのは、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』だということだ。彼らはこの本で、「期待効用」というのを公理化している。その影響を受けて、マルシャック、ハウタッカー、アローらが選好理論を利用するようになったそうだ。そして、現在の形式を完成したのがド・ブリューだが、(なんということか)数学集団ブルバキの影響を受けて、消費者理論を完全構築したとのことだ。

 手前みそになるが、ぼくの考えでは、21世紀のミクロ経済学教育は、「選好」を下敷きに構成したほうがいいように思うのだな。

 もういちどダメ推しするが、シンポジウムに是非ともお越しを!!

 

 

 

 

今回のミクロ経済学の教科書はどこが「斬新」なのか!

やっと、書店に新著『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社が並んだ。前回のエントリー、

ミクロ経済学の教科書を書きました! - hiroyukikojima’s blog

では、序文をさらしたので、今回はこの教科書に導入した工夫と込めた思いについてエントリーしようと思う。

まず、項目の工夫だ。

 前回にも書いた通り、ぼくは従来のミクロ経済学の教科書の教え方を良いと思っていない。ミクロ経済学の「教義」みたいなものをミクロ経済学の「信者」が語っているにすぎないからだ。信心のある人にはいいけど、そうじゃない人にはちんぷんかんぷんだし、嫌悪感が出ると思う。学習者は心の中に「なんでそれが重要なの?」という困惑を浮かべるものの、「きっと先生が教えてるんだから、大事なことなんだろう」と自分を説得して、「暗記」に走っているのに違いない。かわいそうに。

 ぼくは年を取ってからミクロ経済学を学んだせいか、従来の教科書の項目にはピンとこないものが多い。「教義」を覚えて「徳」を積んで「階級」を上げていこう、という人(大学院生とか学者予備軍)にはいいと思うけど、社会で生きていく基礎的教養とか実践的知識としては無駄・無意味のように思える。

 でも、全部が全部、無駄・無意味ということではない。かなり有効な知識もあるのだ。だから、それだけを取り上げて、なんとか上手に構成したいと思った。そういう考えから作ったのが、次の目次だ。

第1講 需要曲線と供給曲線
第2講 野菜の需要曲線と価格弾力性
第3講 オークションはどんな仕組みになっているか
第4講 売った人の得、買った人の得~余剰の考え方
第5講 人は心の中に「好み」を備えている
第6講 直接交渉をシミュレートする
第7講 手番のあるゲームの戦略
第8講 戦略としての価格付け
第9講 企業はなぜ倒産するまで値下げ競争するのか
第10講 ナッシュ均衡はいろいろな事例を説明できる

 第1講2講は、「需要曲線と供給曲線の交点が均衡」という定番の内容だけど、2講で「ナスの需要曲線」を実際のデータから描く方法を解説してるのは、他と一線を画す(林敏彦先生の教科書から学んだ)。その上で、こういうことは他のほとんどの商品では不可能な理由も説明してる。これは、すごく大事なことなのに、たいていの教科書には書いてない。あとは、いろいろな財・サービスが高かったり安かったりする理由をもちろん需要・供給から説明するんだけど、その際に「価格弾力性一定」の曲線を利用してる。こうすることで、限界原理(要するに微分)を避けたのだ。

次に第3講・4講では、「オークション」を題材に商取引のシミュレートをしてる。オークションは、「需要曲線と供給曲線が浮かびあがる」「均衡を強制的に作り出す」という二つの意味で均衡理論の実践だ(もちろん、実践の歴史は理論よりずっと古いけど)。だから、抽象的な均衡理論よりも直接的に学生さんのイメージに訴えかけられると思う。とりわけ、「消費者余剰」「生産者余剰」を実感するのに適しており、それらの図解もわかりやすく与えることができるこの2講が本書の最もウリだと自慢したい。

第5講・6講は、普通の教科書では消費者理論にあたるところだけど、無差別曲線とか効用関数とかを潔くやめたところが工夫だ。そんなん、大学院に行く学生にしか何の意味ももたない、ただの「教義」、ただの「経典」だと思う。それで代わりに「選好」を導入した。「選好」は一般には中級の教科書に出てくるアイテムだけど、ぼくは「選好」のほうが効用関数よりずっとわかりやすいと思う。その上、「選好」を基礎にするなら、最適化の考え方も簡単に説明できるし、何より、消費者理論以外のミクロ経済学的なアプローチ(例えば、投票とか異時点間代替とか)などにも準備に時間をかけずに進むことができる。この2講も、この教科書の工夫をこらしたところなのだ。

さて、残るは企業理論なんだけど、ここは悩みに悩んだ末、ゲーム理論にすべてを委ねることにした。企業理論は、通常の教科書では最もつまらないところだ。短期と長期がどうしただとか、平均費用と限界費用がどうしただとか退屈このうえない。そこで、もう、こういう退屈な内容はざっぱりやめて、企業の行動をすべてバトルと捉え、ゲーム理論に任せることにした。そのほうが、リアルでビビッドな形で企業の振舞いを学習者に伝えられると思ったからだ。まあ、ここの部分はいろいろなゲーム理論の書籍からぱくった(もとい、引用した)ので、そんなに斬新とは言えないんだけど(笑い)。

 もうひとつ自慢したいのは、練習問題だ。これは良い問題、というわけではなく、学習者の趣味にへつらうようなものである。興味を持ってもらうために、できるだけ卑近な例、いまふうな話題を問題設定とした。例えば、次のようなアイドル方面のもの。

[第2講の練習問題]

グラフは、ある女子アイドルユニット所属のアイドルの需要曲線と供給曲線である。横軸のpは、企業(芸能事務所)に対しては、アイドル1人が稼ぎ出す(平均の)売上げ(CD・ライブ・握手会など)であり、消費者(アイドルファン)に対しては、アイドル1人のために使う総金額である。縦軸のqは、企業(芸能事務所)に対しては、デビューさせるアイドルの人数であり、消費者(アイドルファン)に対しては、推しメンとして支えるアイドルの総人数である。

(以下、略)

あるいは、アニオタ方面の問題だとこういうの。

[第6講の練習問題]

Aさんは最初に、初音ミクの自作フィギャーを10体保有している。Bさんは最初に、自作ガンプラを6体保有している。(x, y)という座標はxがフィギャーの体数、yがガンプラの体数を表すものとする。

Aさんの選好順位は次にようになっている→(略)

Bさんの選好順位は次にようになっている→(略)

この2人が、フリーマーケットで出会い、物々交換の交渉をした状況を考えて、以下のカッコを適切に埋めよ。

(以下、略)

こうしてさらしてみると、自分のバカっぷりが露見して恥ずかしいが、この程度のことでも学生が興味を持って食いついてくれるのは、確認済みである。ぼくの思いは、とにかく、無味乾燥なミクロ経済学の講義をわかりやすく、楽しいものにしたい、ということなのだ。

 

ミクロ経済学の教科書を書きました!

前回のエントリー

来週、統計学の新書が刊行されます! - hiroyukikojima’s blog

で予告した通り、ミクロ経済学の教科書が今週末に刊行されるので、その宣伝をしたい。タイトルは、『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社、である。いやあ、これも編集者が付けたタイトルだが、あざとい。まことにあざとい(笑)。

 この教科書のコンセプトは、「社会人になって役立たないミクロ経済学の知識は、潔く切り捨てた」ということだ。

ぼくは、30代後半に経済学の勉強のために大学院・経済学研究科に入学した。ぼくは数学科の出身だから、経済学ががんがん高度な数学を使っているのは、めっちゃ楽しかった。「数学って、こんなふうにも使えるんだなあ」と感慨深かった。

でも、大学でミクロ経済学を教えるようになって、その感覚は正反対になった。「なんで、これから社会に出る大学生たちが、こんなこむずかしい数学で表現された役に立たない経済学を勉強しなくちゃいけないんだろう」とかわいそうになった。ぼくにとって、教科書に書かれているミクロ経済学が役に立ったのは、博士課程への進学資格を得ることと、論文を書くときだけだ。それこそ、日常生活にも、ビジネスにも、納税にも、役に立ったためしがない。

そこで、「役に立たない部分を削除した教科書」を書こう、という企画を持った。本書はそういう意図をもって書かれた教科書だ。だから、定番の教科書とは、少なくない点で内容や構成が異なっている。それは、序文で熱く語っているので、今回は序文をそのままさらすことにする。

  『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』の序文

ビジネスにマジで役立つミクロ経済学を!

 世の中にミクロ経済学の教科書は掃いて捨てるほどあります。それらと比べて本書のウリがどこにあるかについて説明しましょう。

①ビジネスにマジで役立つ題材だけにしぼっている!

あなたが経済学部卒の社会人か経済学部の学生であるなら、次の質問に答えてみてください。「学部で勉強したミクロ経済学が仕事で役立ったことがありますか?」、「学部で学んでいるミクロ経済学が将来、仕事に活かせる予感がしますか?」。どちらの答えもきっと、NO!でしょう。

悲しいことにも、これらの解答は正解なのです。経済学者であるぼくもこれらの解答に激しく同意します。世の中のミクロ経済学の定番教科書が役立つのは、経済学の大学院に進学するごくごくわずかな人にだけで、それ以外の大量の社会人・学生さんには全くの無用の長物にすぎないと思います。

なぜこんな悲劇が起きているかはここではあえて語りません。代わりに、本書はそういう悲しい現実を打ち破る試みとして書いた、ということを胸を張って述べます。

本書は、ミクロ経済学の定番教科書から、ビジネスに不要な部分を削除しました。そして、誰もがビジネスに携わっていく中で活き活き使える「ものの見方・考え方」だけを採用することにしました。以下、どういう点かを説明しましょう。

②難解な無差別曲線・効用関数・微分はバッサバッサと削除した!

ミクロ経済学の定番教科書では、「効用関数を用いた無差別曲線」をたっぷり解説します。ぼくはこれが学習者を落ちこぼす元凶だと思っています。これが問題なのは、分かりにくいだけではなく何の役にも立たないことです。社会で活かせる場面は皆無と言っていいです。

もう一つの元凶は「微分」です。経済学部の学生たちは「文系だったのに経済学部に来たら微分をやらされた」と頭を抱えることになります。ところで、経済の理解に微分って不可欠でしょうか? ぼくは全くそう思いません。微分は経済現象を表現するための一つの道具にすぎず、不可欠なものでも本質でもありません。消費者の心の中の嗜好も、企業の生産計画も微分なんてできません。だから本書は、これらの元凶を思い切って削除しました。そうすることで逆に、いろいろなことをわかりやすく解説できるようになります(例えば、価格と量の軸を逆にするなど)。また、扱うテーマを広げることもできます(例えば、選挙制度など)。だから、難しい数学に苦しむことなく、「経済学の広さと有用さ」を印象的に納得してもらえるようになったと自負しています。

③経済学の根本的な疑問に答える!

 本書のもう一つのウリは、経済学を学ぶ人が抱くであろう根本的な疑問に答えている、という点です。多くの学習者は、「需要曲線って、どこに存在する?」、「需要曲線ってどうやったら描けるの?」、「需要曲線と供給曲線の交点で取引が行われるのは本当?」といった素朴な疑問を持つでしょう。しかし、たいていの教科書はそういう疑問に答えようとしません。その理由は、経済学者という人種がそういう根本的な問いを通らずに来たからに他なりません。でもぼく自身は、そういう素朴な疑問に頭を悩ませた経験を持っています。本書ではできるだけそういう疑問に答えようと試みました。

 ④解いて楽しいオタクっぽい練習問題を導入!

何の教科書であっても、最も大事なことは練習問題を解くことです。しかし、定番教科書の練習問題は無味乾燥で解く気力が起きないものがほとんどです。本書ではそれを打破すべく、練習問題の題材をできるだけ多くの人が楽しめるものに工夫しました。それこそ、「アイドル市場」、「イケメン俳優さんとのデート」、「アニメ・キャラのフィギュア」などのオタクっぽい題材です。これならきっと、読者も興味を持ち、解く気になって、楽しんで経済学を身に着けることができるに違いありません
 ではでは、ミクロ経済学の楽しい勉強をいざ開始することとしましょう!

実はぼくはだいぶ昔にも、ミクロ経済学の教科書を書いたことがある。MBAミクロ経済学日経BPだ。それこそ、経済学者の駆け出しの頃に書いた本なので、ごりごりにコアなミクロ経済学の内容になっていて、野心的を超えて暴走ぎみの教科書だった。しかも、これでも微分を使わず、最適化の方法は受験数学テクニックを使いまくった。そうすれば、賢い、中学生・文系高校生・文系大学生・社会人にも理解できると考えたからだ。しかし、その考えがバカだった!受験テクニックのほうが、多くの人にとってずっと縁遠いものだったからだ(笑)。長く受験塾の先生をしていたので、その辺の感覚がズレてしまっていたのだ。それで、この教科書は、信じられないほど売れなかった!

こんなことなら、素直に微分を使って書けば良かった、と後悔した

 でも、いいこともあった。この教科書をほめてくださる一人の経済学者に出会うことができたからだ。その人とは今でも、経済学について、いろいろ議論させていただいている。いつか共著の論文を書きましょう、という関係になっている。怪我の功名ともいえる。

 今回の『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社は、MBAミクロ経済学日経BPとは正反対の教科書になっている。易しくて・わかりやすくて・面白くて・役に立つ、そういう内容になっている。でも、MBAミクロ経済学日経BPのようなコアな教科書も、いつかリベンジで書いてみたいものだ(売れないと思うけど。笑)。

来週、統計学の新書が刊行されます!

この10月上旬には、ぼくの新著が二冊、同時に刊行される。一冊は統計学の新書、もう一冊はミクロ経済学の教科書だ。いろいろな事情があって、刊行時期が重なってしまった。

というわけなので、今回は、先に刊行される統計学の新書のほうを紹介し、次回に、ミクロ経済学の教科書のほうをエントリーしようと思う。

統計学の新書とは、『難しいことはわかりませんが、統計学について教えてください!』SB新書である。

 

 この本について、ぼくにとって新しい点が二つある。第一は、ライターさんとのコラボレーションであること、第二はぼくが今まで書いてなかった統計学のアイテムを解説していることだ。

第一の点についてもう少し詳しく言うと、本書は、ぼくがレクチャーした内容をライターさんがテープ起こしをして、それを土台に物語を作り、文章を書いてくださったものである。もちろん、初稿ができたあと、ぼくが全文をチェックし、必要な部分は加筆・修正をした。部分的には全面的に書き換えてしまったところもあるくらいだ。

 ぼくがライターさんに文章を書てもらうのは初めての経験だ。これまで漫画家さんとのコラボやイラストレーターさんとのコラボはあったが、ライターさんに文章を委ねる、ということはしなかった。それは、ぼくとしては、サイエンスライターであるにしても、「文筆家」というスタンスにこだわりがあったからだ。今回、それを返上してライターさんに文章を任せたのは、一つには他の書籍企画を抱えていて、割り込みを許すわけにはいかなかったのもあるにはあるが、もう一つに、ぼくのレクチャーをプロのライターさんが形にしたらどんなふうになるか興味があったからだった。実験的にやってみようと思ったのだ。

 実際、今回の新書はぼくにとってとても新鮮なものとなった。ぼくのレクチャーから数学や統計学には素人のライターさんが何を感じ、それをどう物語るかを見ることができたからだ。さすがこれまでいくつものライティングをしてきただけあって、読みやすく、わかりやすく、面白い文章を展開してくれた。自分のアイデアがライターさんの感性を通してこのような豊かな表情を持つのか、と新鮮な気分になった。付けくわえるなら、ぼくの文章はテクニカルな内容を書いていても、独特の癖があるのだな、と再認識することになったのも収穫だった。このライターさんのような職業的な文章はぼくにはとても書けないし、やっぱりぼくはぼくの文体にこだわり続けたいと思う。

 第二点、つまり、統計学の内容について、もう少し詳しく説明しよう。

ぼくはこれまで、統計学の教科書を二冊刊行している。『完全独習 統計学入門』『完全独習 ベイズ統計学入門』(いずれもダイヤモンド社)だ。これらは読者の評価を得ることができ、前者は12万部のベストセラーに、後者もすでに5刷2万部を重ねている。前者は統計的推定としてカイ2乗分布、t分布を用いた推定方法を基本から解説し、後者はベイズ推定の原理を基本から解説している。

 この二冊で解説していない統計学のアイテムとして、多変量の推定がある。具体的には、相関分析回帰分析だ。相関分析とは、二つの量がどういう関係性にあるかを、正の相関、負の相関、無相関として分類する分析法のこと。回帰分析とは、ある量(説明変数)が他の量(被説明変数)にどのくらいのインパクトを持つかを数値で表す分析法のこと。今回の新書では、この二つのアイテムを、通常の推定(正規分布やt分布による区間推定)に加えて投入したのが真骨頂である。

とりわけ、回帰分析では、どの教科書でも必ず導入部で解説する「最小2乗法」を避けたところが新機軸である。正規方程式を経由せずに別の方向から回帰係数の公式を与えたのだ(もちろん、数学的な説明は省略したから、ごまかしと言えばそうなんだけどね)。この工夫によって、回帰分析を新書の一章の中になんとかかんとか説明を押し込むができたのである。

どういう説明かは読んでのお楽しみ(笑)。

 タイトルは例のごとく編集者さんが付けたので、大げさだし羊頭狗肉かもしれない。でも、新書で、縦書きで、物語で、という体裁の統計学の本としては、画期的な出来なんじゃないかな、と思う。是非、書店で手に取ってみて欲しい。

 

完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門

 

 

 

完全独習 ベイズ統計学入門

完全独習 ベイズ統計学入門

 

 

『大学への数学』9月号、10月号は是非読むべし

 大学への数学』東京出版は、高校生向けの受験雑誌だが、単に受験技術を身に着けるだけの雑誌にとどまらない。そのことは、前回、

面白さ満点の『零点問題集』 - hiroyukikojima’s blog

にも書いた。今回は、それを受ける形で、先月に出た9月号と今月の10月号を推奨しようと思う。

 

大学への数学 2019年 10 月号 [雑誌]

大学への数学 2019年 10 月号 [雑誌]

 

 

 9月号には、親友の(大学で同期だった)数学者・松木謙二さん(パデュー大学)が「正四面体を最短に切り開く」という記事を寄稿している。扱っている問題は、

紙でできた正四面体をハサミで切り開いて展開図にするとき、ハサミを入れる距離が最も短くなるには、どのように切れ目を入れればいいか?

というものだ。な~んだ簡単じゃないか、と思った人はたぶん罠にはまっている。解答は予想外な切り口なのだよ。

この問題は、単なるパズルのように見えるだろう。ところがどっこい、解答を読んでみると、離散数学と初等幾何を組み合わせた非常に優れた問題だということがわかる。中学や高校で数学を教えている先生方は、実習を組み合わせた題材として使ってみるといいかもしれない。但し、数学的な証明はけっこう難しいので、生徒たちに「切れ目の短かさを競わせる」みたいな形でやったらいい。

松木さんから面白いエピソードを聞いた。松木さんは、この原稿を執筆している最中に、高校生や一般数学愛好家が参加する公開講座でこの問題をプレゼンしたとのこと。その公開講座の主催者の中に、あの有名なフィールズ賞受賞者の森重文先生がいらっしゃった。森先生はこの問題をたいそう興味深く聞いたらしく、講演後の松木さんに「もっと巧い解き方があるよ」、と教えてくれたというのだ。さすが大数学者、目の付け所が違う。松木さんは「悔しいけど、森先生の方法に証明を書き換えた」と言っていた(笑)。

ちなみに松木さんはここ数年、数学の有名な未解決問題「正標数特異点解消」に取り組んでいる(標数ゼロの場合は広中平祐先生が解いてフィールズ賞をとった)。彼がこの問題を解決したら、友人として鼻が高いので、是非、落城させてほしいと願っている。

 次に10月号の方を紹介しよう。

10月号には、親しい数学者・黒川信重さん(ぼくは二冊、共著をしている)が「反転公式とゼータ関数」という記事を寄稿している。これまたすばらしい記事なのだ。

この記事では黒川さんは、受験問題(立正大が2017年出題)から話をスタートしている。それは「オイラー関数」と呼ばれる数論的関数φ(n)に関する問題だ。(数論的関数とは、正の整数を定義域とする関数のこと)。オイラー関数φ(n)とは、

φ(n)=(1以上n-1以下の整数でnと互いに素な整数の個数)

と定義されるものだ。黒川さんは、このオイラー関数を題材に、受験問題から最先端の数学までを一気にたった4ページで解説しているのである。

まず驚くのは、その受験問題のテーマでもある、 

(nの約数mに対するφ(m)の総和)=n 

 という公式を鮮やかに証明していることだ。ぼくはこの公式は(証明も含め)知っていたが、こんなに鮮やか、かつ、わかりやすい証明があるとは知らなかった。これだけでもう儲けもの。

 でもここからが黒川さんの本領だ。

黒川さんは、数論的関数f(n)があるとき、それを使ってゼータ関数を作れることを紹介する。正式にはL関数と呼ばれるものだ。そして、数論的関数f(n)が乗法的であるとき、(乗法的とは、互いに素なm, nに対してf(mn)=f(m)f(n)となること)、そのゼータ関数オイラー積を持つことを示す。ここでオイラー積とは素数たちの式での因数分解のことだ。上のほうで出てきたオイラー関数φは乗法的なのでφからゼータ関数を作ることができる。黒川さんは、それについて、

(φから作るゼータ関数)=ζ(s-1)/ζ(s)

となることを導いている。この導出も数学が得意な高校生なら理解できるはずだ。

面白いのはここからで、黒川さんは、なんとこのφから作るゼータ関数を用いて、「メビウス反転公式」という有名な公式を証明するのだ。 ぼくはこんなことが可能だと初めて知って、ぶったまげた。メビウス反転公式が、整数論で大活躍する公式であることは知っていたが、ゼータ関数と表裏の関係にあることが実感を持って伝わってきた。これだけでもう1344円(増税後)を払う価値がある(笑)。

そして、エンディングは黒川さんの十八番、「絶対ゼータ関数」の登場だ。

絶対ゼータ関数とは、難攻不落の未解決問題「リーマン予想」を解決すべく黒川さんが編み出した「21世紀のゼータ関数」だ。それをこの「φから作るゼータ関数」を使って紹介しているのである。まあ、ここの部分はさすがにかっとんでいて、高校生には難しいと思うけど、なにより「大きな夢がある」。数学に限らず、何に取り組むにしても、「夢がある」ということが大事なのだ。

 たった4ページで、たったの1344円で、こんな夢のある記事が読めるんだから買わない手はない。

 ちなみに、黒川さんが数学の道に進むきっかけになったのは『大学への数学』を読んだことだと、ある記事で書いていた。かつて『大学への数学』に数学者の上野健爾さんが寄稿し、そこで「ラマヌジャン予想」と「リーマン予想」を紹介した。高校生だった黒川さんはその記事を読んで、この二つの未解決問題に「大きな夢を持った」。それで数学者になったのだという。ラマヌジャン予想はまもなく解決されてしまったが、リーマン予想はいまだ未解決だ。黒川さんは今でもリーマン予想に勇猛果敢に挑んでいる。そして、黒川さん自身も、高校生たちに夢を与えるべく、今回の「絶対ゼータ関数」の記事を書いたのだと思う。実際、最後に次のように綴っている。

このような簡明な絶対ゼータ関数からゼータ関数全体を捉えるのが21世紀のゼータ関数論なのであり、新しい研究者を待っている

ぼく自身も、高校生の頃、『大学への数学』でp進数(素数で作る新奇な数空間)の記事を読んでわくわくした経験を持っている。最初にも書いたが、『大学への数学』は単なる受験雑誌にとどまらず、日本の数学文化を支える大事なインフラなのだ。

 ちなみに、絶対ゼータ関数については、黒川さんがたくさん本を書いているけど、ぼくと黒川さんの共著『21世紀の新しい数学技術評論社を推奨しておこう。