酔いどれ日記12

今夜は南アフリカのCageという白ワインを飲んでる。たいした価格ではないが、特有の苦みがあって好みの味だ。

 今回は、ちょっと調べたいことがあってたまたま拾い読みした、中山幹夫『社会的ゲームの理論』勁草書房から面白いネタをエントリーしようと思う。この本は、ゲーム理論がどのように社会の分析に役立つかを網羅した本だ。

 第1章はゲーム理論誕生の歴史を解説している。もちろん主役はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンだけど、フランスの数学者のエミール・ボレルも登場する。ボレルは、「ボレル集合」で有名だ。ボレル集合とは、ルベーグ積分(高校で習う積分は、リーマン積分だが、それよりもいろいろ操作性の良い積分理論)で、「測度」を定義するのに利用される概念である。ルベーグ積分は、測度論的確率論の土台となる。(測度論的確率論の意味合いについては拙著『確率を攻略する』ブルーバックス参照のこと)。

 そのボレルが、実はゲーム理論の研究を発表している、という事実が中山先生の前掲の本に書いてあった。ボレルは「じゃんけんの一般化」を考え、「混合戦略」を定義したとのことである。(混合戦略とは、選ぶ手を確率的に変化させること)。そして、フォン・ノイマンの用語で言えば「マックスミニ戦略」にあたる戦略についても分析したそうなのである。(マックスミニ戦略とは、ありうる中で最悪の利得が最大になるように手を選ぶ戦略)。数学者フレッシェは、「エミール・ボレルにこそゲーム理論創始者という名誉を与えるべきである」と訴えたそうだ。(フレッシェはたぶん、その筋では有名なフレッシェ微分の創案者だと思う)。

実際、フレッシェは1953年のエコノメトリカ誌に「エミール・ボレル心理的ゲームとその応用の創始者」と題するレターを寄稿した。これに対して、フォン・ノイマンが返答を掲載しているのだが、それが辛辣なものだったという。ミニマックス定理にたどりつけていないことを否定の材料とし、「フレッシェ教授ともあろう方が、戦略概念の単なる数学定義がゲーム理論創始者の主要な仕事と考えていることに多少の驚きを禁じえない」という皮肉を綴ったそうだ。

 フォン・ノイマンがナッシュの提案したナッシュ均衡について「それは、別の不動点定理にすぎない」と一笑に付した話は有名だから知っていたけど、ここでも同じような所業をしていたのだね。フォン・ノイマンの伝記には、彼の人格が露見するこの手のエピソードが事欠かない。

 学者の世界には、このように「価値判断」の問題は常につきまとう。ぼくも、研究報告で聞いた他人の論文について、心の中で「それほどでもないよな」と思ったものが、とても良いジャーナルに掲載されて、びっくりするとともに自分の批評眼の甘さを実感したこともあった(嫉妬まみれに)。また、自分が論文を投稿したときにも、レフリーによって評価が雲泥になることを経験し、採択・不採択もある種の「運」のなせる技だな、と感じる今日この頃である。

 さて、ぼくは最近、素数ほどステキな数はない』技術評論社を刊行したんだけど、(例えばこのエントリーを参照のこと)、その中で最も重要な参考文献のひとつが、エミール・ボレル素数文庫クセジュだったのだ。この本は、ボレルが確率論的な立場から素数を解説したものだ。初等的に「素数定理」に迫っていることがポイント。素数定理とは、「x以下の素数の個数\pi(x)は、\frac{x}{logx}に漸近する」というものだ。素数は不規則に出現するけど、マクロで見ると、その確率はだいたい\frac{1}{logx}と見なせる、というものである。ボレルはこの定理を、「2n個の異なるものからn個を選ぶ組み合わせ数」の計算を使って説明している。高校生にもわかるぐらいの非常に初等的な議論である。「証明」というにはほど遠いが、それでも、「素数定理」の成立と正しさを信じるに足るほどの見事なアプローチになっている。しかも絶妙に確率論的なアプローチなので感心する。ボレルの才能を垣間見られる。ボレルのアプローチについては、拙著で丁寧に解説しているので、読んでみてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

酔いどれ日記11

今夜はコート・デゥ・ローヌの赤ワイン。今回は、PKディックSF小説のことを書こうと思う。

ディックの小説を初めて読んだのは、20代の中盤だったと思う。高校のときの親友が京都大学に進学して、そこで劇団の活動をしてた。親友が劇団で知り合った人の中に、SF小説SF映画に詳しい人がいて、親友もその人の影響でディックを読んでいた。ぼくはその二人からディックを紹介され、はまることになったんだ。

最初に読んだのは、たぶん、『火星のタイムスリップ』だったと思う。この小説には心底びっくらこいた。タイムスリップものとは言っても、そのタイムスリップの仕方がすごいんだよね。自閉症の子供は、心の中の時間の流れと現実の(外部の)時間の流れがずれているために自閉に陥る、と設定されていて、その時間の流れのズレを利用してタムスリップするという、とんでもない発想。そして、サラリーマンの主人公は、つまらない失敗をやり直したいがために、自閉症の子供の心の中に入り込んで時間を遡ろうとして、悪夢のような時空にはまってしまう、という話。

このあとに読んだのが、かの有名な『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。映画「ブレードランナー」の原作となった小説だ。これは、火星で苦役を強いられているアンドロイドが地球に逃亡するので、それを始末する殺し屋の話である。アンドロイドはほとんど人間とそっくりなので、見分けるのに特殊な技術(テスト)が必要で、見抜いて抹殺すれば報奨金を得られるが、間違って人間を殺してしまうと殺人犯になってしまう。

この小説で最も面白いシーンは、主人公が自分自身もアンドロイドではないか、と疑って、自分で自分をテストするシーンだ。これは、「自然数論は自分自身が無矛盾であることが証明できるか」というゲーデルの第2不完全性定理を想起させるし、心を病んだものが自分が病んでいることを自覚できるか、という精神医学の問題にも抵触する。

このテーマに関して、30年くらい前、コンピューターに詳しい知り合いから面白い話を聞いた。(この話は一度エントリー済みかもしれないが、まあいいじゃん)。あるワープロソフトは、自分がオリジナルかコピーソフトで複製されたものかを判定するプログラムを内蔵している。もしもそれが複製されたものだと、3ヶ月ぐらい使ったあたりで「これは違法に複製されたものです。オリジナルを購入してください」というメッセージが表示されて、それ以降、使えなくなってしまうという。3ヶ月ぐらい使うと、そのワープロに慣れてしまうため、別のソフトに変更する気にならず、やむなくオリジナルを購入する、という仕掛けなのである。

ところが、これがうまくいかなかった。なぜかというと、オリジナルなのに、複製であるというメッセージが出ることが、頻出したからなのだ。オリジナルでも、(当時はフロッピーディスクだった)、ちょっとした傷や摩耗があると複製だと誤認してしまうという。ぼくはこの話を聞いたとき、「これって、ディックじゃん」って思ったものだった。

ぼくはディックの小説を、たぶん、20冊以上読んだと思う。時々、つまらない作品やはちゃめちゃすぎてついていけない作品をあったけど、だいたいの作品は面白かった。

ディックの大きなテーマは、「目の前の時空間の崩壊」なんだけど、とりわけ麻薬によるそれは面白いものが多かった。中でもいまだに鮮烈に覚えているのは『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』という作品だ。主人公は、チューZという強力な麻薬を使って幻覚世界に入り込む。そこは現実世界のわずかな時間の間に永遠もの時間を経験できる。過去や未来にも行き来できる。ところが、そこは実は悪夢のような世界だった。パーマー・エルドリッチという男が君臨し、自由自在に世界を作り変えることができるのだ。パーマー・エルドリッチは、義眼と義歯と義手という三つの聖痕を身につけて、どの空間、どの時間にも存在していた。

この小説は、麻薬トリップしているときの記述が卓越であり、読者をもバッド・トリップの迷宮に誘いこんでしまう迫力がある。そういう意味で、ぼくにとって、ディックの中でもものすごく好きな作品の一つだ。

パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』があまりにも好きすぎて、ぼくは昔、受験雑誌『大学への数学』にパロディ小説を書いてしまった。それは「クンマー・エルドリッチの三つの正根」というタイトルの小説だ。

このパロディ小説は、ドラッグを使うことで複素数を使えるようになった受験生が、いくつかの受験問題を複素数によって簡単に解けるようになった一方、悪夢のような魔窟にはまってしまう、というストーリーである。それは、ある与えられた3次方程式に3つの正根があることが明らかなのに、それを求めようとすると虚数\sqrt{-3}が根の表記に現れて、どうしても消えなくなるという魔窟だったのだ。

この不可思議な現象は、簡単に言えば、3次方程式のガロア群の性質によるものなんだけど、詳しくは拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照してほしい。

クンマーとは、「フェルマーの大定理」に対して、初めて一般的な結果を与えた19世紀の数学者の名前だ。「フェルマーの大定理」は、ご存じのように、「n≧3のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x,y,zは存在しない」というものだけど、nが正則な素数(あるいは正則な素数で割りきれる自然数)については定理が成り立つ、という結果を証明したのだ。(正則素数については説明が面倒なので、ものの本にあたってほしい)。クンマー等の研究によって、円分体(1のべき根を有理数に加えた体)で定義される整数に類似した世界では、素因数分解の一意性が成りたたないことが判明した。これもバッドトリップの魔窟である。

リドリィー・スコット監督の映画「ブレードランナー」は、ディックの原作とはだいぶ面持ちの違う作品だけど、名作であることは疑いないので、未見なら観たほうが良いと思う。ぼくがこの映画を初めて観たのは、原作を読んだあとだった。カーペンター監督の『遊星からの物体X』と二本立てで観た。最初に物体Xを観て、あまりのすごさ(ひどさ)に頭が痺れてしまって、大丈夫だろうかと案じたけれど、「ブレードランナー」はその麻痺感覚をきれいに清浄したうえで、切ない気持ちになる感動を与えてくれる映画で、見まごうことなき名作だった。

ディックもブレードランナーも物体Xも、その京都大の人の勧めで知ることができた。その人は数年前に夭折したと人づてに聞いた。影響を大きく受けた人だけに、とても残念な気持ちになった。

 

 

 

 

素数の分布になぜ偏りがあるのか?

 今回のエントリーは、今年最後ということで、数学のことをを書こう。テーマは、「素数の分布に偏りが見られる理由」である。

 ディリクレの研究によって、素数を「割った余り」で分類しても、極限で見るかぎり、その割合はみな同じであることがわかっている。

例えば、素数を末尾で分類する(10で割った余りで分類する)と、2と5を除けば、どの素数も末尾は1, 3, 7, 9のいずれかだ。そして、x以下の末尾1の素数の割合、x以下の末尾3の素数の割合、x以下の末尾7の素数の割合、x以下の末尾9の素数の割合は、xを無限に近づけるとき、みな1/4に近づく(均等に近づく)のである。これを「ディリクレの算術級数定理」と呼ぶ。(どの末尾の素数についても無限個存在する、という証明は拙著素数ほどステキな数はない』技術評論社を参照のこと)

このことは数値計算でも見てとれる。実際、100000000番目までの素数を分類すると、末尾1は24999437個、末尾3は25000135個、末尾7は25000401個、末尾9は25000027個となっており、ほぼ4分の1ずつの均等になっている。他方、連続する素数(隣り合う素数)の末尾の組で分類してみると、見逃せない偏りがあることがOliver&Soundrarajanの論文で報告されている。これについては省略するので、詳しくは、素数ほどステキな数はない』技術評論社を参照してほしい。

しかし、今回紹介するのは、Oliver&Soundrarajanの偏りではなく、「チェビシェフの偏り」と呼ばれるものである。ぼくはこれを知らず、小山信也先生のyoutubeでの講演動画、「チェビシェフの偏り」の解明と一般化、で初めて知った。

「チェビシェフの偏り」とは、19世紀の数学者チェビシェフが見つけたもの。例えば、x以下において、4で割った余りが3の素数のほうが、余り1の素数よりたいてい多い、という現象のことだ。講演によれば、26861未満では常に余り3の個数の方が余り1の個数以上であり、26861で初めて逆転するが、その後すぐにまた余り3の個数の方が多くなり、それが長く続くのである。

この「チェビシェフの偏り」は、「ディリクレの算術級数定理」と食い違っているように見えるが、そうではない、というのが、小山先生と共著者の最新の発見なのである。小山先生によれば、それは「リーマン予想」から説明できる、という。

 「リーマン予想」については、以前、「シン・リーマン予想」というタイトルでエントリーしてあるので、詳しい解説はそちらで読んでほしいが、要するにリーマン予想を強めた予想のことである。リーマン予想とは、「ゼータ関数の虚の零点の実部がすべて1/2」という未解決の予想であるが、「深リーマン予想」とは、「実部が1/2の複素数オイラー積が条件収束する」という予想である。「深リーマン予想」⇒「リーマン予想」ということが証明されている、つまり、「深リーマン予想」が証明できれば、それから「リーマン予想」が正しいことが示されることから、「深」と冠付けられているのだ。(ぼくは庵野監督にならって、シン、とすることを提案している。笑)。

小山先生のyoutubeのレクチャー「チェビシェフの偏り」の解明と一般化では、「深リーマン予想」が正しいとすれば、「チェビシェフの偏り」が数学的に証明できることを説明している。そして、その説明はめちゃくちゃ明快である。「チェビシェフの偏り」とは、4で割った余りの例で言うなら、「余り3の素数と余り1の素数は、無限まで見れば同数だが、順序的には余り3のほうが相対的に早く出てくる」と解釈できる。そしてそれは、なんということか、「ディリクレのL関数のオイラー積が、実部1/2の複素数で条件収束する」に帰着させることができるのである。詳しくは動画で学んでほしい。きっと、その明快さに目からうろこになると思う。

「深リーマン予想」から「チェビシェフの偏り」が証明でき、しかも、「チェビシェフの偏り」が数値計算からかなり正しい手応えがある、ということは、「深リーマン予想」が正しいという傍証となる。したがって、今回の小山先生と共著者との結果によって、「深リーマン予想」の信憑性が高まったということができるだろう。また、このような研究の仕方は、数学研究の良い模範になるに違いない。

 

 

 

 

酔いどれ日記10

 今は、イヴに飲んだボーヌ・ロマネの残りを飲み干し、サン・ジョセフの赤ワインを飲んでる。

 中高生の頃、クリスマス・イヴの夜にはディケンズクリスマス・キャロルを読むのを習慣にしていた。いろいろな出版社の文庫で、異なる訳本が出版されていたので、毎年違う訳者の訳本で読んだのだった。

 『クリスマス・キャロル』はすごく好きな物語だった。クリスマスに従業員を働かせる守銭奴の主人公スクルージを、死んだ共同経営者のマーレイの幽霊があの手この手でこらしめて、スクルージがそれに諭されて改心する話だ。こんなすばらしい話はない。

 むかし、アルバイト先の塾の社長が、イヴの夜に講義を設定しようとしたとき、同僚の大学生が「イヴの夜に仕事をさせられるなら、ぼくは今すぐに退職します」と言ってのけて、ぼくは心の中で喝采を送ったものだった。

 大学生になってからは、イヴの夜には友達とパーティをするようになり、本を読む習慣はなくなってしまった。それはそれで楽しいイヴの過ごし方だけど、読書のイヴも今となっては思い出深い。

 高校3年だったか浪人生のときだったか忘れたが、『クリスマス・キャロル』の手に入る訳書をすべて読み尽くしてしまっていたため、やむなく別の本を読んだことがあった。ヴェルコール『海の沈黙』岩波新書だった。なぜ、この本を買ったのかよく覚えていない。尊敬していた高校の現国の先生2人のうちのどちらかに勧められたのか、あるいは左翼系の友人が読んでたからかもしれない。

 このことを思い出したので、昨夜(イヴ)の読書はヴェルコール『海の沈黙』にしてみた。ものすごく久々、40年ぶりくらいの再読だった

 この小説は、フランスの抵抗文学のひとつだ。時は1941年、ナチス占領下のフランスの話。ドイツ軍の将校が、占領しているフランス家庭に寝泊まりするようになる。その家には、主人公の老人と姪が暮らしている。ドイツ将校は、二人にいろいろなことを語りかけるが、主人公と姪は、一切返事をしない。一言も話かけない。将校をあたかも幽霊のように扱う。それは、自国を蹂躙するドイツへの頑な抵抗の所業だった。

 したがって、物語は、将校の独り言で進んでいく。主人公たちの気持ちは、主人公の独白で読者に伝えられる。将校は、自国での職業は作曲家であり、あらゆる芸術に造詣が深い。だから、蕩々とフランス文化への尊敬を語り続ける。バルザックボードレールプルーストの名をあげる。しかし、主人公と姪は、一切、反応をしない。

将校は、このナチスの占領が、ドイツとフランスの「幸せな結婚」を意味すると根拠ない妄想を抱いていた。しかし、あるきっかけから、そうではなく、ナチス・ドイツのフランスへの単なる蹂躙であるという現実を思い知ることになる。単なる野蛮な所業だということに衝撃を受ける。

 ぼくが10代でこの小説を読んだときは、主人公たちが最後まで抵抗し、一言も言葉を発せず、将校が前線に志願して、彼らのもとから去るときに初めて、「ご機嫌よう」と一言だけ言うのだと記憶していた。しかし、今回読んでみて、そうでないことがわかった。

と言うか、今回読んでみて、主人公と姪のいろいろな心の葛藤が描かれていることに気がついた。ドイツ将校に対して、実に複雑な心理変化を描いていることがわかったのだ。とりわけ、姪と将校に特殊な関係性が育まれていく様子がきめ細やかに描写されていたのである。当時は素朴な少年であったぼくには、「沈黙=抵抗」としか読めていなかったのだ。やはり、小説というのは、単純な「論理構成物」ではなく、もっと深みのあるものだと再認識することになった。

 何歳になっても、クリスマス・イヴは特別な夜だ。これは死ぬまで続くことになるに違いない。これからのイブが、どんな夜になるのか、それがとても楽しみではある。来年のイヴは何を読んでいるだろうか。

 

 

 

 

酔いどれ日記9

今日は、赤ワインのロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んでる。ぶどうはサンジョヴェーゼ。イタリアワインのぶどう品種では、ぼくはサンジョヴェーゼが一番好きだ。

 さっきまでゼミ生とスタジオで録画撮りをしていた。今年もゼミライブをライブハウスで実施することができず、結局、動画制作をすることになった。ゼミ生たちの就活の都合もあるので、たった2回のスタジオ入りで撮影せざるを得なかった。まあ、それでも、伝統イベントを繋いだ、ということで一安心。

 今夜の日記では、昨夜に観た原一男監督のドキュメンタリー『全身小説家について書こうと思う。

 この映画は、小説家・井上光晴の晩年5年間を撮影したドキュメンタリー映画だ。井上光晴は、左翼系の小説家で、数々の優れた小説を書いた。映画は、井上の交友関係、講演会、小説作成教室、読書会などを取材して編集したもの。途中に、彼の幼少期の記憶を再現したイメージ映像を差し挟んでいる。

 親しい作家仲間として、埴谷雄高野間宏瀬戸内寂聴が出演している。井上光晴は若い頃にいくつか読んだ作家だが、本人の実像はけっこう意外だった。豪傑で、エネルギッシュで、多弁な男だった。一方で、埴谷雄高は物腰が柔らかく、知的で、冷静な人だった。これも意外な人物像だった。

 井上が小説の修行中の人たちを指導するシーンや、雑誌に掲載されている他人の作品を品評するシーンがあり、井上の小説観や作法が垣間見られて興味深い。前に酔いどれ日記4で書いたように、小説というのは単に感性やセンスで書くものではなく(もちろん、それらも必要だが)、緻密な計算で書くものだ、ということを再認識させてくれる。

 井上が語る井上の少年期を、イメージ映像として投入したのは、ドキュメンタリー映像としては珍しいことだが、後半になるに従って、その理由がわかってくる。これも見所の一つだ。

このイメージ映像は、(たしか)、劇団・燐光群の役者さんたちが演じていてびっくりした。燐光群は、20年ぐらい前に何度も観た劇団だ。劇作家の坂手洋二が社会派の、それでいて前衛的で、かつ芸術的な舞台を生み出す劇団だ。とても奇遇に思った。

 ドキュメンタリーの中で、たくさんの女性が、いかに井上光晴が魅力的な男で、自分がどんなに恋愛感情を抱いたかを語っている。要するに彼はモテ男なのである。それでちょっと思い出されることがあった。

 映画を観始めてすぐに感じたのは、井上の方言が「どこかで聞いたイントネーション」と思ったことだった。井上の故郷が長崎県佐世保とわかって、記憶が像を結んだ。昔に、このイントネーションそのままの男性を一人知っていたのだ。それは、数教協(数学教育協議会)のXさんだった。

 数教協とは、数学の教え方を相互に学び合う先生方の非公的な団体だ。小学校の先生から大学の先生まで幅広い学校の先生方が手弁当数学教育の議論をする。創始者は数学者・遠山啓先生である。遠山の数学教育や思想については、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で読んでほしい。ぼくは、数学教育にも、抽象数学の理論や哲学が必要であることを遠山から学び、実践している(つもり)。

ぼくは30代前半の一時期、数教協の海外研修に3回ほど参加した。それは、ヨーロッパの学校見学をメインに、ついでに観光をする旅行だった。その旅行でいつも一緒だったのがX先生だった。X先生は佐賀県の小学校の先生だった。豪傑ながら優しさもあり、進歩的ながら旧態依然とした男尊女卑の雰囲気も備えている人だった。そのXさんのイントネーションや話し方が井上光晴のものとほとんど同じだったのだ。

面白いことに、Xさんも女性にすごくモテる人だった。Xさんを慕って、九州地区からたくさんの女性の先生が研修旅行に参加しており、みんながXさんをハートマークな目線で見ることに驚かされた。偏見かもしれないが、九州の男と女の間には、ぼくには及びもつかない「暗号性言語」があるのかもしれない、と思ったものだった。『全身小説家』で女性たちが語る井上への恋情も、そういう「暗号性言語」のなせる技だったのかもしれない。

 ぼくが井上光晴の小説を初めて読んだのは高校生のときだったと思う。たぶん、国語の先生(酔いどれ日記2でのO先生)の推薦だったと思う。そのときに読んだのは、『地の群れ』だった。これは(記憶では)、被爆者、被差別部落民、在日朝鮮人という虐げられた人たちがいがみあう、という、とてもいたたまれない小説だった。「なんで、どういうつもりで、こういう小説を書くんだろうか」と思ったものだった。高校卒業後に、『ガタルカナル戦詩集』を(たぶん)読んだ。『他国の死』は長い間本棚にあったが読んだ記憶がない。今の本棚にはないから、たぶん読まずに捨てたのだろうと思う。井上光晴がどういうことを描きたいのかは理解できたつもりだし、優れた作品なんだろうともわかったけれど、どうしても小説として好きになれなかった。

埴谷雄高も左翼系の作家で、高校生のとき、左翼かぶれの友人が心酔していた。ちょうど、大作『死霊』が刊行された頃で、ぼくも購入したが結局は読まずじまいで、今の本棚にはなくなっている。友人が「死霊はシレイと読むんだぞ」と自慢げに語っていたのを今でも覚えている。今、ネットで調べたら、その後も『死霊』は書き続けられたらしい。それは知らなかった。ときどき行くワインバーで、たしか埴谷雄高貴腐ワイン・シャトー・デュケムを飲んでいる写真を観たと思うので、調べてみたのだけど、「貴腐ワイン通」という情報は見つかったがシャトー・デュケムについての記載は発見できなかった。シャトー・デュケムは、ぼくが死ぬほど好きなワインで、高くてほんのときどきにしか飲めないのだけど、死ぬ前に一杯だけ何か飲んでいいと言われたら、間違いなく迷いなくこれを選ぶと思う。

 

 

 

 

 

酔いどれ日記8

今日は、白ワインのシャブリを飲んでいる。すごく冷えているんで喉ごしはいいんだけど、この酸っぱさはやっぱりちょっと苦手だ。

エアロバイクをこぎながらの読書は、村上春樹については一冊読み切ったので一段落し、また数学書に戻った。今日は数理論理学の専門書、田中一之『数の体系と超準モデル』裳華房を再読していた。チューリング・マシンについて復習したいからだ。復習したい理由は別の機会に書く。

この本の、オートマトンの初歩の例の中に、「3の倍数を2進法で表した数だけを受理するオートマトン」というのが出てくる。前に勉強したときは、「ふ~ん」という感じに読み飛ばしたんだけど、今回は気になって証明を考えてみた。(本には証明は書いてない)。通勤の電車の中で考えて、少し時間がかかったけど、うまくできたときはちょっと嬉しかった。わかってみると、非常に巧妙にできたオートマトンだ。(昔のエントリー、オートマトンの食べ方も参照のこと)

 さて今日は、昔に大学祭で観たライブについて書こうと思う。「フォークの神様」と呼ばれた岡林信康さんのライブだ。

このライブを観たのは、入学した年の五月祭だった。記憶では、キャンパスにテントを作り、その中にステージがあったように思う。岡林は、ぼくらより一世代上の人たちが崇拝するシンガーだった。学生運動の象徴とも言える人。反戦歌とか、差別問題を扱った歌とか、革命を願望する歌とかを作った。

 岡林の歌を初めて知ったのは、中学生のときだったと思う(ひょっとすると小学生だったかもしれない)。(どっちにしても)音楽の先生が若い新任の女性で、「友よ」という曲の歌詞をガリ版刷りで配って、生徒たちに歌わせた。そのときには、これが社会変革を求める反体制の歌だとはみじんも思わなかった。(それにしても、なんで彼女はこんな曲を取り上げたんだろうか)

その後、友人の家でレコードを聴かされ、とりわけ、「山谷ブルース」という日雇い労働者の悲哀を描いた歌とか、「手紙」「チューリップのアップリケ」など部落差別を扱った歌を知って衝撃を受けた。

 でも、五月祭のときのライブで岡林が歌ったのは、「転向後」の曲ばかりだった。彼はあるとき、シンガー生活を投げ出して、「下痢を治しに行ってきます」という書き置きを残して、山にこもり、農業をすることになった。しばらくして、復帰し、アルバムを作ったが、人が変わったように昔の面影はなかった。演歌にシンパシーを持ったみたいだった。だから、五月祭のライブでは、彼は、反体制の歌も、革命の歌も、一切歌わなかった。

 岡林の曲で、一番歌詞がすごいと思ったのは、初期の曲「私たちの望むものは」だった。この曲は、「私たちの望むものは~ではなく、私たちの望むものは~なのだ」と「~」のところを入れ替えながら繰り返される歌詞である。例えば、「私たちの望むものは生きる苦しみではなく、私たちの望むものは生きる喜びなのだ」から始まり、「私たちの望むものは社会のための私たちではなく、私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」と続き、「私たちの望むものはあなたを殺すことではなく、私たちの望むものはあなたと生きることなのだ」と展開していく。そして、鳥肌が立つのは、後半、歌詞が逆転していくところだ。どきっとなる歌詞だ。

 面白いことに、(そう言っていいかどうかわからないんだけど)、アルバムのサポートバンドをやったのは、デビューしたての「ハッピーエンド」だった。ハッピーエンドは、細野晴臣大瀧詠一松本隆鈴木茂から成るすごいバンドだ。後に、日本のロックの一時代を作り上げたと言っていい人たちである。はっきり言ってしまえば、岡林よりずっと高い音楽性を備えた人たちだった。そして、(たぶん)、彼らは学生運動とはあまり関わりがない。その彼らが、岡林のサポートをやっていたというのは、なんとも奇妙というか、時代のなせる奇遇というしかないと思う。

 ぼくは、岡林の曲をギターで弾き語りがしたくなり、コード譜付きのスコアを買った。そのスコアには、スコアとして非常に珍しいことに、巻頭に詩が掲載されていた。岡林作の詩ならわかるのだがそうではなかった。

 その巻頭の詩は、芥川龍之介のものだった。ネットで調べたところ、『或阿呆の一生』三十三 「英雄」が出典で、「レーニン」をモチーフにしたものらしい。

 

 

 

 

酔いどれ日記7

今日は、赤ワインを飲んでる。カオール。安いけど、なかなか美味しい。コスパで考えるとかなりいい。

今夜は、大学1年生の頃の一般教養の講義の話を書こうと思う。

一般教養の講義として何を履修したか、今となっては定かな記憶ではないが、東洋史、論理学、法学、近代経済学だったような気がする。どれも、大教室の講義で、どれもあんまり出席しなかった。教室に遅刻していくので、後ろのほうの席しか空いておらず、たいてい最後列に座った。

最後列なので、教員の視界には入らないだろう、ということで、ほとんど推理小説を読んでいた。それも、暇じゃないと読めないような大部の小説だった。四代奇書と呼ばれる推理小説を選んだ。中井英夫『虚無への供物』夢野久作ドグラ・マグラ小栗虫太郎黒死館殺人事件久生十蘭『魔都』だ。

これらの奇書は、浪人して予備校に通ってた頃に知った。予備校で親しくなった人がミステリー狂で、彼から推理雑誌幻影城を教えてもらった。当時の『幻影城』には、泡坂妻夫さん、連城三紀彦さん、竹本健治さんなどがデビューしており、新本格派というか変格派というか、そういうミステリーを知ることになった。彼から聞いて、四代奇書を知ったが、これらはみんな大作なので、浪人時代には封印し、「大学に合格したら読もう」と誓ったのだった。

だから、大学に入学して晴れて読み始めた。一般教養の講義の最後列で。

『虚無への供物』は、衝撃の超傑作だった。もう、講義が耳には入らないほどにのめりこんでしまい、帰宅してから一気に読んで、涙を流し、翌日は大学に行かなかった。翌日だけじゃなく、数日休んだかもしれない。

ハウ・ダニエットとしてもフー・ダニエットとしても優れているが、驚天動地なのは、ホワイ・ダニエットとしての推理小説だということだ。古今東西、こんな「動機」を考えついた推理作家がいただろうか。ここに来て、「虚無への供物」というタイトルの深い意味が飲み込めて感涙になる。

テレビドラマ『虚無への供物』も一応観たのだけど、深津絵里さんが主役をやっていてなかなかだったんだけど、ドラマ自体は原作を体現できてはいなかったと思う。まあ、やろうとしただけで立派だったとは言えるが。

調子にのって次に読んだのは、ドグラ・マグラだった。これもとんでもない小説であり、推理小説と呼べるのかどうかもわからない。この小説の真骨頂はやはり、「小説中小説」という仕掛けによって、「無限」を創出していることだろう。この点については、拙著『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で、ホルヘ・ルイス・ボルヘスアレフとともに論じているので、是非、読んでほしい。ボルヘスは、数学的な小説を多く書いた、というか、どの小説も数学的であることで有名な作家である。

黒死館殺人事件は、本当に物語の内容がわからなかった。講義中に読んでるから集中できなくてわからないのか?と思って、講義を休んで家で読んでみたが、相変わらず、さっぱりわからなかった。一文一文は意味が通るのだが、つなげると何を言っているのかさっぱりわからない。でも、それでも非常に魅力的で、結局、最後まで読んでしまった。小説の中では「意外な犯人」と主張されているのだが、何が意外なのか、理解できなかった。とは言え、この小説には悪魔的な魅力があり、四冊のうち、今もう一度読むとしたら、この黒死館殺人事件だろうと思う。いつか、再チャレンジするつもり。

『魔都』を最後に読んだのだけど、講談調の語り口調で、最も読みやすく、最もわかりやすく、ものすごく上手な小説であるが、四冊の中では最もインパクトが薄かった。

 一般教養の講義で最も思い出深かったのは、東洋史だった。左翼系の東洋史家の先生で、話がすごく巧かった。余談も多く、興味深い内容だった。ひとつ覚えているのは、「革命前の中国がいかに貧富の差がひどかったか」という話だった。庶民にとって塩が稀少財だったため、鍋のスープを全部飲まず、乾かして塩を抽出して再利用している一方、王は、好きな時間に命じて、好きな料理をいくらでも即座に作らせることができたという。「そんな貧富の差があれば革命が起きるのは当然だ」と先生は断じた。

ところが、何回か休んでいるうちに、なぜか途中で教室変更になり、久しぶりに行ったら教室はがらんどうだった。トンチキなぼくは、変更先の教室を発見するすべがなく、結局そのあと一度も出席しなかった。

 期末テストになったとき、ほとんど諦念の気持ちで教室に入った。驚いたことに教室には先生の姿はなく、すべての席に問題用紙が一枚ずつ置かれていた。空いている席について、問題文を見ると、「あなたとアジアについて、その関わりについて書きなさい」とだけあった。問題文を読んでぼくは「どうしたものか」と思案に暮れた。「あなたとアジア」というテーマに、ある種の書くべき指針を先生は講義中に示したのかもしれない。だとすれば、休み続けたぼくには何も書けない。どうしよう。

でもぼくは、どうせ受験に来たのだから、ダメ元で何か書いて行こうと考えた。

 ぼくとアジアの関わり??ぼくは回顧をめぐらせた。正直に書くとすれば、それは在日の人々との関係になるだろう。ぼくが少年時代を過ごした地域には、在日韓国人の人々や在日北朝鮮の人々がかなりいた。だから、友達にも少なくなかったし、睨みをきかせて敵対してくる近所の子供もいた。ぼくにとって、在日の人々は日常的な存在であり、子供ながらに何かを感じざるを得ない存在でもあった。

ぼくは、解答用紙に、そんな前置きを書いた上で、丸山薫の詩を引用することにした。その題名も「朝鮮」という名の詩だった。

それはこんな詩だ。姫が魔物に追われて逃げている。彼女が逃げながら、櫛を投げるとそれが山になって魔物を遮る。魔物は乗り越えて追ってくるので、今度は巾着を投げる。巾着は池に変わり、魔物の邪魔をする。けれど魔物は苦も無く乗り越える。それで、姫は靴を投げる。こんなふうに姫は身につけているものを次々に投げていく。ぼくは、この姫の姿が朝鮮の姿だ、と答案に書いた。

ぼくは書きたいことを正面から書いたけれど、単位を取るのは諦めていた。でも、意外にも、合格して単位をいただいた。しかも、最優秀のAという成績だった。なんとも言えずこそばゆい気持ちになった。

もちろん、その先生がどの答案も読まず、全員にAを付けた可能性も否めない。なぜなら、翌年にその講義をとった友人が、「`仏'だと聞いたから履修したのに、たくさんのD(不合格、学生はドラと呼んでいた)を出し、撃墜された」と言ってたからだ。その年は定年で退官する最後の年だったから、置き土産のつもりだったのだろう。とすれば、単にぼくにはツキがあっただけなのかもしれない。